バード・ウォチング No31 スーパーバイザー(SV)として担うもの

H30.4.27 SV 村瀬節子

  • 切り替えに臨む姿勢

 4月は、新しい年度のスタート、節目の月でもあります。障害がなくてもいろいろな配慮の下で、馴染むまでの適応の時間を経過するものです。特に障害がある方のステップアップの道は、慎重に、丁寧に情況を整えながら進めることが必要です。頑張る気持ちになって「よし」と思ってくれてからの支えがポイントとなります。「私にもできる」と受け止められるか、「不安や緊張」に押しつぶされてしまうか、配慮に配慮を重ねることになります。

  • 新たな出会いの緊張に立ち向かって

 今、そのことに直面している出来事があります。4月から新たに2名の方が売店実習に出られています。自分から「売店に行きたい」と希望に胸ふくらませて申し出てくれたAさんの半日の実習に同行させていただいた時のことです。    仕事の流れは、おおよそ決まっており2回目と言うこともあり、次から次へとこなしていました。また、「できました」の報告の声も自然な感じで、さすが、自分から望んだだけあると感心したほどでした。緊張はしているのでしょうが、「頑張っているな」と安堵して見守っていました。

 ところがどうでしょう。仕事が終わった途端「気持ちが悪い」と吐き気を感じたようで、楽しみに購入した昼食用のパンも食べないで、期待していた誕生会もパスし「疲れた」と言ってぐっすり眠り込んでしまいました。

 夜、家に電話を入れると昼食に用意したパンも夕食も食べ、いつもと変わりがない様子ということでした。これは何を意味しているのでしょう。

  • 目標に立ち向かう気力

 体調不良(吐き気)は、プレッシャーや緊張感を抱えながら頑張った事への反動、バランスをとるものだったのでしょう。「仕事が終わった途端」に吐き気があり、「終わった」という実感で張りつめた緊張が緩み、安堵感を越えての吐き気ですから、すごい頑張りだったことが伺えます。そして、ひと眠りして、「平常心」を回復すると食欲が出て、いつもと変わらない様子とのことでした。回復力も大きいのではとも思いました。「自らの目標に立ち向かう気力の充実感に支えられている」姿との解釈の下に、これからAさんに対して具体的にどんな支え、配慮がこの局面を乗り越えられる応援となるのでしょうか。

  • SVとしての支えどころ

 「一人では厳しいけれど一緒に頑張っている仲間がいる、応援してくれる人がいる」と感じられる支えをすること、そして、頑張れた自分、だんだん上手になっていく自分を感じながらの経過を踏まれるように配慮をすることを考えています。

 私たちの支援は、皆さんの日常の実態に関心を持ち、行動という現象に振り回されないで、その意味するものをしっかり捉えながら適切な配慮を積み重ねていくことだと思います。また、職員が悩みながらも《これでよいのだ》と、手応えが得られる受け止めが出来るように応援することがSVとして担う役目とも思っております。

バード・ウォチング NO30 主体性の土壌について感じること

H30.4.2 理事 村瀬

 H30年度に入りました。年度末、恒例の「納めの会」を開きました。昨年度から始めた朝の体操の展開が少しづつ和やかな楽しいものになっていること、改めて感じました。

  • 納会‐体操ご披露から

 Aさんの表彰ご挨拶の中で母親から青い鳥での姿がご披露された。オリジナルな体操を楽しんでやっている、その姿を母親として安堵している旨。その折、傍らの彼が体操をやって見せるなど本人の満足感が伺え、体操プロが少しずつ成熟してきていることを感じた。

 さらに出し物披露では、声かけられながらも次々とメンバー入れ替わりで前に出て自分の持ち体操をやって見せる姿が続いた。一般の体操とはかけ離れている面もあり、なんだ?と思わされたりもしたが司会の解説を頼りに納得の展開になった。

  • 毎朝の体操がベースになって

 朝の体操は、家庭やGHから通所してきた仲間にとって「さあ、今日も一緒に楽しくやろう」とのきっかけづくりになっている。活動の準備運動的な面は副次的になっているが、曲がりなりにも皆さん立って体の部分部分を動かす10~15分ほど、結構な動きの量になってきた。

 いつの間にか、自分の体操の型が決まり、そろそろ自分の番かなと感じ、心の準備ができている。進行の促しに即応じて、「1,2,3・・・」の掛け声にみんなが唱和してくれて、体操の 中心に自分がいる。ワンポイントの自分の番が終わるとみんなの拍手で交代する。拍手が節目なのだ、おまけの体操もいいみたいだ、なかなか終わらなくてもみんなで付き合ってくれる。なんかうれしい。

 他愛もないことであっても、やれることがあって、仲間に期待されて、評価される、そんな日々の土壌は無言のうちに「あなたが大事」が注ぎ込まれる土壌になっている。

  • 経験に裏打ちされた主体性が持つエネルギー

 始めは「こうしてみたら…」と受動的であったが、経験に支えられてやり慣れて、受動的でありながら能動的な振舞いになっていく、受動的能動性と言われる姿になってきた。この能動性は、もう主体性そのもので「私がやる!」との意思の表れだ。そこに縁する「私」は心を動かされ、楽しそう、積極的だ、自分らしく振舞えている等々と感じる。そして私の心のありようは私の内に留まらない。価値あることは人に伝えたくなる、家族に、仲間に。こうして少なからず波紋が伝わっていく。

 受動から能動へと行動が変わて行いく過程を追ってきた、その変容に自分の心情を重ね合わせると行動の奥に潜む気持ちが感じ取れる。心情を解釈しようとする前に感じ取って即時的に反響する自分がいる。それこそ主体性のエネルギーの伝播力なのだろう。

  • 心情に着目すると対人関係の反映と感じ取れる

 この場の職員に支えられて、認められて、安心感を得ながら取り組んできた過程であろう。うれしいことと思えば、もっと応援したくなるのが人情である。それにつけても、より楽しく、より和やかに、より生活の張りになる展開に努力していただきたい。たかが朝体操、されど朝体操であり、一日のスタート起点の体操で一日の充実度合いが決まるのだと心してゆきたい。こうした解釈視点が支援のエッセンスを構成するのだろう。

バード・ウォチング NO29 現場の気づきから②

 現場からのエピソード―こんな風に出会っています、こんな手ごたえを感じています、こんな人なんだと新たな発見をして付き合っています、など人としての出会い方、心の揺れ動きに着目して簡潔に綴っています。こうした出会いを通じてそれぞれの方の全貌が把握され、人生を支える土壌になっていくことを期待しています。

  • 本当は気まぐれではなかったのです(池田重剛)

木曜日の午前中の外作業は、主に献品受け取りやリサイクルショップの黒ビニール袋や段ボール、書類運びの仕事です。そこに参加しているBさん、スタートもゴールもシンプルで分かりやすい動きですが、気まぐれで動けたり渋ったり、なかなか動けなかったり・・・。

ところが、ここ最近、加わった新しい仕事はすこぶる積極的なのです。それは金曜ランチのお肉購入、この仕事は特に説明も依頼もしていませんが、パッと目的が呑み込めて、必ず3階の調理場まで運んでくれます。

 主体的になれないことや自律的になれないのは、実は何のためかがもう一つ切実感を伴って感じられないからだったようです。お肉の件は、まさに3階に運ぶことでおいしくなるもの、ぼくが持って行かなければと責任感も期待感も人一倍なのでしょう。

 こんな新たなお手伝い的な役割の楽しみから、気まぐれのイメージが変わっていく機会になりました。

  • いっぱい気遣いをもらってきたから(船山宏美)

 外作業にいったCさん、カラオケができず「歌いたかったな~」と惜しい様子。思いのこもった一言に応えて「じゃ、昼休みに特別カラオケをしよう!」と提案。「いいの?」と目を細くして受けてくれた。さて、昼休み、カラオケセットを準備したもののCさんは何だか乗り気になれない表情。歌わないの?と聞くと「うるさくない?大丈夫?」と。確かに、周りにはお昼寝したり静かに休憩する姿が目に入る。「僕、動画、見るだけでいいよ」と友達と戦隊ものの動画を見て過ごしました。

 自分のために用意されたカラオケ、それよりも仲間のことを思い遣ってくれたのです。改めてCさんの気遣いに感心させられた一コマでした。仲間関係は、いろいろな凸凹がつきものですが、気づかってもらったり、特別な配慮をされたりすることが基本のベースになって、いつの間にか自分の中で反転して、思いやる心情に育ち、思わぬところで滲み出てくるのでしょう。うれしい一言でした。

  • 「俺って、頼りになる?」(篠崎 徹)

 「俺、(仕事を)たくさんやったよね?」と尋ねてくるHさん。「やっぱり、(俺は)頼りになる?」とも。「もちろん。また頼みますよ」と返すと、納得した表情になる。こうしたやり取り通して、自分自身を勇気づけているように見えます。

 それは、自分のことは自分だけではよく分からないから、との解釈ができるそうです。周りから、どんな風に見られているかを伝えられて”そんな自分”を感じ取っていくものだというのです。また経験を踏んで自分の得手が分かってきても”これでいいはずだけど…”と自信を持つまでには場数が必要だと言われます。

 きっと新人職員である私へのアピールもあるのかもしれません。「俺って、働き者なんだよ、知ってる?」「俺のことちゃんと見てくれよ、頼りにしてよ」こんなことも言いたいのかもしれない、と感じたやり取りでした。

バード・ウォチング NO28エピソード  現場の気づきから①

H30.3.15

 ここに挙げられたエピソードは、「私」のことに穏やかに付き合ってくれることで安心感をもらい、人と出会うことで心地よさを味わっている姿です。それが「あなたが大事」を注ぎ込むことであり、自己肯定感を高めるベースになっているはずです。この点がしっかり根付くことで、好ましい主体的な姿に出会う機会が増えていくことでしょう。楽しみながら見守っています。

  • 「僕もいるよ」って支えてくれたから樽見理沙)

 Dさんは大きな目とはにかむような笑顔が魅力的な女性です。でも時々、涙ぐんだり険しい表情になったりすることがあります。そんなとき私たちは、素敵な笑顔を取り戻すべく奮闘します。あっち向いてホイをしたり、にらめっこをしたり、大好きな芸能人の話をしたり、「大丈夫、そばいるよ」の気持ちを注いでいます。

 あの日は何だか涙ぐんでいました。私はDさんの隣にまったく同じ姿勢で座りました。程なく真似っこされていることに気づき、私の方をちらと見て、ちょっと笑ってくれました。真似をし続ける私に苦笑して、姿勢を変えます。さっそく私も真似します。今度は右手で頬杖をつきます。私も真似します。

こんな二人の真似っこ遊びを見ていた向かい席のEさん、ニヤリと笑って同じように右手で頬杖をつきます。三人とも同じポーズ。Dさん、これは困った、という風に笑っています。Dさん、今度は左手で頬杖をつきますが、このころになると真似っこを期待しての素振りになっているようでした。私たちもすぐに真似っこ。もう一度右手。すかさず二人で、また真似っこ。Dさん、おかしくてたまらない!というように、机に顔を伏せてしまいました。Eさんのお茶目な笑顔は、Dさんに向かって「ぼくもいるよ」と言っているような気がしました。こんな戯れ合う関係が安定のベースだなと感じとところです。

 

  • 仲間と一緒に過ごしているから(大久保淳子)

 光の差し込みが屈折して、時に不思議な陰影を見せる踊り場が好きなGさん。ちょっとみんなと間合いがある位置ですが、「Gさん、また福祉の集いで青い鳥の歌を歌うんですって」と歌い始めると“♪~真っ赤に流れる 僕の血潮~♪”のところでジェスチャー、唇を指さし、腕をなで下ろし、ガッツポーズの振り付けをそれらしくしてくれました。毎年参加している福祉の集いで歌っている青い鳥の歌がしっかり積み上がっていたこと、空想が好きでその中にいることも多いのですが、青い鳥の中で現実の仲間と一緒にしっかり過ごしていることを改めて感じた場面でした。

 なかなか噛み合わない時、アレコレ思いを巡らせるのですが・・・。でも、目を輝かせて、身を乗り出して、声を上げてつながる時、《これか!》と思わず高笑い的に声が出てしまいます。うれしいことですから。

 

  • 二人の自分》の折り合いに努力している(宮本 浩)

 折々にIさんって優しいなと感じることに出会います。散歩のとき、遅れている仲間を待っていて、そばに寄り添ってあげています。また、その日の頑張ったことを発表する場面でも、後から手を挙げた人に「どうぞ」と言って譲ってあげています。にこやかで人当たりの良い人柄だけに優しさも分かるけど、周りに気を使うからこそ時に逡巡したり、ためらったり、ある時は尻込みしたり…。

 “みんなの中の自分”があるから優しくなったり、不安になったりするのでしょう。”自分は自分らしく”があるから自分の思いが伝わったり、分かってもらえると満面の笑みで動き出せるのでしょう。きっとIさんは《二人の自分》の折り合いに努力している今なのですね。どうしたものかな?と思う時も、結構グループ活動に参加している姿を見ると着実な歩みを感じます。

バード・ウォチング No27 仲間関係から気づかされたこと

H30.3.14 理事 村瀬

 助け合いの中で生きられたらいい人生であろう。自分の足りないところをそれとなく補ってくれたらうれしい。また、いつも和やかに接してくれる人がいることが安心だ。そんな仲間が身近にいてくれたら心強い。確かに、現実は容易くないこともままあるが、人生の歩みはこうあってほしいと描いている。

  • AさんとBさんとの言い争い

 担当職員の説明に反発的な発言が続くAさん。それを近くで聞くBさんは怒れてしまったようで「やんなくていいよ」と止めて欲しい旨、批難する。説明が終わると双方、何事もなかったように取り組み始める。

批難する気持ちはよく分かる。自分が期待している事柄を否定されるのだから。他方、反発する気持ちもその苦しさを推し計れる。自分に自信がない、自己肯定感の薄さにあるのは確かなのだろう。そんなバックグランドを感じ取ってか、あるべき論でたしなめたりすることもなく、淡々とやり過ごす関わり方に大したものと感じさせられた。

  • C子さんとDさんの支え合い

 C子さんは感情の起伏が大きく、時に戸惑わされる。彼女にとって人を選り好みしないDさんとの出会いは素直な気持ちでお姉さんとしての振る舞いができる相手だ。そこには年長者の満足感ある様子を見てとれる。

 一方、Dさんは自律的な活動が少ない方だ。多少のわがままを受け入れてもらい、C子さんと居ることの心地よさを味わっているようだ。そんな彼のあり様が、C子さんを勇気づけるメッセージになっている、と感じた。≪C子さんがいてよかった。優しくしてもらってうれしい。いつも気にかけてもらって、この仲間で安心だ≫こんなふうに彼の心情が伝わっているのだろうと解釈している。

C子さんはいろいろ生き辛さを抱えて悩ましいこともあるようだが、Dさんによって、〝そんなC子さんでもOK″といわれることで自分の存在に自信をもらってきた一年だ。

  • 人間関係を軸に見ていく

 こうしたやり取りは能力的な支え合いではなく、人間関係の支え合いである。能力の嵩が問題ではなく、受け入れられ、評価され、応えてもらい、見守られて「あなたが大事」を注ぎ込まれた嵩が生み出す領域である。受動的なDさんの心情さえもC子さんには積極的な意味を持って作用している。関係の不思議さだ。

 東洋医学では「心身一如」と言い、心と体は互いに強く影響し合う関係であり、だから障害は能力面だけに表れるものではない、心情面に影響するというのだ。分からないことが分からないで終わらない。分からないことは確実に不安を伴う。

その不安を底支えするのが関係だ。関わりは関わる人の思いが反映する、頑張りや努力に気付き、気遣いながらも楽しみに見守る。こうあって欲しいからこそ長い目で見守り、自己肯定感につなげる視点を持ちたいと感じている。能力論や発達論ではなく人間関係で地道に改善していく土壌のようだ。

バード・ウォチング No26 暮らしぶりをつくる関わり

2018/1/4 統括 村瀬

  • 分かってあげられなかったが・・・

11月半ば頃からIさんが「***クリスマス****、プレゼント****、CD****」と伝えてくるようになった。残念なことに何を言っているのか分からない。クリスマスプレゼントであることはすぐ分かったが、肝心なプレゼントの内容が分からない。でも、本人は分かってくれたか確認したい思いが強く、間合いの取り方から復唱して欲しいようであった。気持ちが分かるだけに困惑した。

何度聞いてもきちんと答えられない。そこで、分かったところを糸口に手繰り寄せることにした。指を折りながら、《一つ目は、12月22日(金)クリスマス会はまだまだ。二つ目は、プレゼントはロボット・コメディCDをもらいたいの。三つ目は、井上さん(管理者)かお父さんからもらうの。》なんとか本人の思いにだんだん近づいてきた。

  • いつの間にか気持ちがつながって

その都度少し時間をかけながら、と言っても2~3分程度だが、毎度の確認をしてきた。確認の型ができてくるとスムーズになり、このやりとりを本人も楽しみしている感触が伝わってきた。繰り返す丁寧さから分かり合うもの、関わりを期待するものに気づかされる。

そうこうするうちに〝プレゼント″の確認行為から、本人の思いの交流に軸足が置かれてきた。「Iさんは、それがとても楽しみなのね」と(あなたの気持ちがよく分かりましたよ)とのニュアンスを込めることにした。すると、この間合いの感じが少し変わって、私自身が手応えと共にご本人が来るのを心待ちにしている一面も生まれてきた。だから私の変化は彼の変化に引きずられたものであった。

私が忙しそうにしているとそっと閉めるなど遠慮したり、ちょっと間をおいて再度覗いてくれたり、さらに「ごめんね。また、今度ね」で《今は、ダメか》と受けとめてくれる、折り合う関係になってきた。一方的に早口でまくし立てる勢いが、私に合わせてくれる素敵な気配りに変わり、すると、私もますます丁寧に接するようになった。

  • そして、期待が頑張りに代わってくる

一か月もすると「青い鳥のサンタさんからもらうの。よかったね。だからうれしくってパン工房を頑張っているのね。」肯定的なやり取りに、本人から「オー」のガッポーズで締めくくれるようになっている。

関心を持って接するとだんだん見えてくるものと共に、本人も私も感じ方が変わってきて、やりとりが楽しみになり、噛み合ううれしさが滲み出てくる。Iさんは、自閉症の方だが分かってもらえた安ど感が情のつながりを生み、二人して楽しみにするやり取りに代わってきた。

  • クリスマス当日から・・・

当日は、もう何も言ってこない。「確認しなくって大丈夫なの」とおもんばかるが、Iさんは、「プレゼントはもらえる」と確信しているかのようでにこやか、満足感を感じさせる笑顔であった。顔を合わせると、「○○さんが6時30分に来るの」と違う話題を伝えてくる。「よかったね」と応じていくが、このやり取りは1度だけ。青い鳥以外の情報を私に教えてくれたのかなと思う。

「このことはこの人」とつながって、区切りがつけば次の関心事が生まれてくる。これも人付き合いのタイプと承知する。色々なものをもらい、与えた相互の関係であったこと、人と人とのつながりの不思議さでもあり、こんな暮らしぶりもいいなと感じたエピソードである。

バード・ウォチング No25 踏ん張りどころを見出した

H29.12.18 理事 村瀬

 先日、障害者団体の研修会に参加した。歴史のある団体で、雰囲気からも当事者や親の会、関係機関の集まりを感じるものであった。質疑の時間になり、家族の質問に愕然とした。親の苦悩、障害受容しきれない自らへの苛立ちを述べられた。と同時に、通所事業所が専門機関として機能していないことを痛感させられたからである。

  • 父親の苦悩、そして苛立ち・・・

 精神障害を抱える40代の息子の父親の思いが語られた。≪講義の中の「発達保障」という言葉が魅力的に聞こえた。障害があっても、いくつになっても誰もが発達していく存在なのだとの意を信じたいと願っている。しかし、現実を振り返ると、精神が退化しているようで、幼稚である。年齢に応じた発達をしていない。暴力の問題でも忍耐を重ね、親が障害を負うこともいっぱい知っている。これは本人の主体が弱いから発達しない。本人がこうしたいと決める力が乏しいからどうにもならない。どうしたら育つのか?発達する力を信じたいが…。≫縷々述べられたがこうした苦悩であった。

  • 障害受容について

 親が子供を信じなくて誰が信じ、受け止め、将来の希望を語るのだ…。親が信じられないものを、接点の少ない周りの第三者が信じることなどできやしない。周りの方々は、外見からの表面的な自分との違いに目が向けられ偏見と差別を生んでしまう。

 ならば、親の障害受容は親の責任か、いや違う。そんな酷な事はない。思わぬ形で障害者の親となり、その現実を受け入れる努力を日々重ね、日常的に一生懸命に育ててきた。その事実が厳然とある。どなたも親になる心づもりで数年と10カ月を経て、生まれてきた子を愛おしく育てている。しかし、この方も思いを覆され、受け止め難い現実を突きつけられて、それでも自分の人生をかけて受け止めてきたと推察する。

 その折の、社会の受け止め方、専門機関の手の差し伸べ方等があまりに未熟な仕組みなのだと、改めて感じた。

  • 「青い鳥の目指すもの」から考える

 振り返って青い鳥の考え方を整理してみる。組織目標は障害者の豊かな人生を応援することに尽きる。自己実現、幸せに生きること。そのために自分のことが好きと思える自己肯定感を育むことが第一と捉えている。周りから《あなたが大事》を注ぎ込まれて自分のことが好きになる、これが人の育ちだと位置づけた。いろいろな行動は本人の資質と周りの物的・人的環境との相互作用であり、不適切な対応から好ましくない状態が、適切な関わりから好ましい人柄が成り立つ、この人間関係論は現場の実感的な揺るがない手応えと受け止めている。

  • 関わりの原則から

 この50年、障害者権利条約が結実するまで世界の胎動が続いてきた。ノーマライゼーション、社会モデル等々を取り上げ、ゆっくりだが障害者を取り巻く状況を変える力になってきた。具体的な関わり方の指針も各レベルで出ており、担当する障害者の持ち味と応援する私の持ち味とを共に活かせるように組み立てたい。そのための現実的適切性を高める手法がエピソードである。こんなことがあった、こんな事態に困惑した、具体的なエピソードを材料に仲間の知恵を出すことができる。エピソードを素材にして関わりの土壌を改善したい。ここから質問者・家族への責任を果たすことにつながるのであろう。課題がはっきりしたのだから、成熟に向けてここが踏ん張りどころである。