バード・ウォチング NO34 GH企画プロ・こんな休日でした

H30.6.12  理事 村瀬

法人としてガイヘル事業に乗り出す土壌ができた。ヘルパー養成研修が動きだし、さらにGH利用者の土日休日の企画プロを開発して仲間との暮らしの楽しさ豊かさを味わえるようにと願っている。

  • ガイヘルを活用すると・・・

 6月企画プロは、7人の参加者を得て3人のヘルパーで運営した。9:30頃から各自の迎えをはじめ、3:00頃に送りが終了する5~6時間ほどのガイヘル利用であった。

日野市では月30時間の利用が認められているから、今後は月4日位、仲間との暮らしに使い、そのほかに個々の用向きに使う生活になったら暮らしやすさが増すと思う。

  • “自律心に出会う” 

 分担して食材やゲーム関連の買い出し、3人で行く予定がもう一人「行きたい」とのこと。置いて行かれそうでちょっと怒っていましたが、スーパーに着くと「朝日新聞なし、東京新聞なし、読売新聞ある」と繰り返す。何のことやらと思いながらオーム返しをする中で、気持ちがすっきり切り替わって店内に。自分のおまじないで気持ちを立て直していた。こんな自律心に出会ってAさんの大人の姿をまた発見した思いである。

  • 私作る人、私食べる人

 普段は勢い母親任せになることが多いのだろうが、企画プロは「自分らしく参加する」がテーマ。ピクニックのシートもビニール袋に自分の印を描いて、おにぎりも鮭、昆布、梅3個作り、具を詰めて、のりを巻き、ラップで包んで、食べる頃合いには結構落ち着いて食べやすい形になっている。ゆで卵をむいて、バイキングよろしくウインナー、ミニトマト、ブドウなどもタッパーに詰め込んで、包んで手提げに入れて出発。

 おみくじおやつでは、桜の木のおみくじをほどいて、当たりおやつをいただくのだが、3~5個のセットもの、当人が2つ取り、残りは仲間におすそ分け。《いただいて、分けて》そんなやり取りが自然にできる仕組みのおやつでした。

  • 初物でぜいたくに

 1,000円会費で少し予算オーバーになったものの、木陰で初めてのスイカわり、小玉スイカ一つでしたが・・・。1回で割れないようにスポンジの木刀で「えい、やー!」、けっこう当たるが大丈夫、みんなで2回ずつ、そして切り分けて、お代わりをして、みずみずしい初スイカをほおばってきました。

  • もう一工夫、もうひと踏ん張り 軌道に乗せて

 おにぎり作り、ピクニックでたちまちの5時間であった。帰り際「来月もやるの?」と楽しさの余韻が残っていることをコトバにしてくれる方が何人も。運営側の課題はいろいろ。ヘルパー養成に力を入れて。「また来たい」余韻の残るプロ展開の工夫を。それぞれの過ごし方に応える企画プロのコース作りも。

バード・ウォチング No33 障害者の笑顔に主体性を読み取る

H30.6.11 日野青い鳥福祉会 村瀬精二

 

 5月20日朝日新聞、山口さんの「温かい言葉をもらって娘が笑った」の投稿に、障害者の自己表現の奥行きを感じさせられた。肢体不自由で知的障害の高校3年生の娘さんが送迎バスの添乗員の優しい言葉を受けて「ニコッ」と笑った。その笑顔に娘さんの「精いっぱいのお礼」の気持ちを感じた、というものでした。

 食事も一人では食べられない、また話せない障害の重さを抱え、こんな程度しかできないと嘆いているわけではない。いい添乗員に出会い大事にされて感性豊かに育っていると、受動的な姿に満足している話でもない。優しく声かけられて、精いっぱいのお礼をする主体的な生き方に着目しているのだ。

行動に着目したら、声かけられて「ニコッ」とするだけと映るかもしれない。しかし、気持ちに着目したら彼女の主体的な生き方が浮き彫りにされるではないか。「いつもありがとう」「私の気持ちを受け止めて」そんな風に笑顔を解釈したのだ。関わる者がどのようなスタンスに立つか、どのような人間関係を持つかによって、そこにある生き方が変わってくる。小さな振る舞いも新たな意味を持って人間関係を動かす力になるのだ。

行動に価値があるのではなく、「精いっぱいのお礼」と社会的な意味を感じ取ったところに育ちの土壌がある、と感じた。

バード・ウォチング No32 「世の光」に通じる出会い

H30.5.9 日野青い鳥福祉会 村瀬

  • エピソードの語るもの

 新年度の家族会に当たって、それぞれの職員がエピソードを綴ってくれた。短いエピソードであっても、それぞれ心に残った一場面を切り取って伝えてきたものである。職員の感性にうれしくもあり、解釈を広げる中でこの歩みは必ずや素敵な大人の姿を具現化するであろうと感じた。

  また一つの出来事をどのように見るか‐行動に着目すると本人の問題と解釈しがち。心情に気付くと私との関係の在り方と解釈できる‐この基本的なスタンスの大事さも感じたことである。それは本人にとってどう見られているか‐周りから肯定的に見られることで自己肯定感が育まれる。逆に否定的に扱われることが自己否定感の深刻な契機になる。この点が強く感じられたエピソードでもある。

  • エピソード:「パン販売を通じて」(太田)

  木曜日は上田でのパン販売の日-初めて来店される親子のお客さん。Aさんにパンの袋詰めをお願いしたところ、少しの間合いがあって「うん」と頷いて、左手にパン袋を持ち右手に渡したパンをひとつずつ袋に入れて、入ったのを確かめるように丁寧に。そしてポイントカードのスタンプもスタンプの持ち方を直してあげて「ここですよ」と指差して、軽く手を添えて押してくれました。

  こんな素振りを見ていたお客さんの女の子からバイバイと手を振られるとAさんも嬉しそうにバイバイと。きっと女の子は、Aさんが応援されて、できることを一生懸命している姿に「すごいなぁ」と感じたからこそのバイバイなのだろうと率直に感じました。

  • 解釈 エピソードから広がる視点

  子どもたちは大人への憧れを持って生きている。1)身体の大きさや強さ、2)できる能力、そして3)一生懸命に頑張る姿への憧れであろう。一方、私たち支援職には、「この子らを世の光に」との命題がある。

  このエピソードは、障害の重さにめげずに、支えられながら努力する姿が心動かすものを生み出す、と語っている。女の子の「バイバイ」の奥にある思いをどう受け止めるか。エピソードでは表現されていないが「バイバイ」に感じるものがあって綴られたものである。この女の子は幼いなりに、この人は大人なのに私ができそうなこともできない。なぜ?それに教えられても下手だけど、一生懸命にやっている。なんか魅せられてしまう。こんなやり方も“一生懸命”っていうんだ、と感じたことだろう。

  これは受けとめ側の人生の歩みによって培われるものと言える。恵まれた歩みが感性を磨くのではない。逆に苦労した人生が感性を磨くとも言い切れない。周りの誰にも、父にも母にも山谷がありながら、めげずに《あなたが大事》を注ぎ込み育ててくれた、この生い立ちが自分の感性を左右するものだろう。この点で、担当職員は育ててくれた家族や周りの方々に感謝の気持ちを持っているからこそなのだろう。

  • エピソードをつづる土壌が「世の光」だ

  私たちは育てられて今がある。私たちは今支援する側に居る。そして、Aさんを介して、女の子に、できないけど頑張っている姿を見せた。女の子にとって心動かされる経験なのだ。Aさんの生き方は「世の光」になっている。こんな風に感じさせられたエピソードである。

バード・ウォチング No31 スーパーバイザー(SV)として担うもの

H30.4.27 SV 村瀬節子

  • 切り替えに臨む姿勢

 4月は、新しい年度のスタート、節目の月でもあります。障害がなくてもいろいろな配慮の下で、馴染むまでの適応の時間を経過するものです。特に障害がある方のステップアップの道は、慎重に、丁寧に情況を整えながら進めることが必要です。頑張る気持ちになって「よし」と思ってくれてからの支えがポイントとなります。「私にもできる」と受け止められるか、「不安や緊張」に押しつぶされてしまうか、配慮に配慮を重ねることになります。

  • 新たな出会いの緊張に立ち向かって

 今、そのことに直面している出来事があります。4月から新たに2名の方が売店実習に出られています。自分から「売店に行きたい」と希望に胸ふくらませて申し出てくれたAさんの半日の実習に同行させていただいた時のことです。    仕事の流れは、おおよそ決まっており2回目と言うこともあり、次から次へとこなしていました。また、「できました」の報告の声も自然な感じで、さすが、自分から望んだだけあると感心したほどでした。緊張はしているのでしょうが、「頑張っているな」と安堵して見守っていました。

 ところがどうでしょう。仕事が終わった途端「気持ちが悪い」と吐き気を感じたようで、楽しみに購入した昼食用のパンも食べないで、期待していた誕生会もパスし「疲れた」と言ってぐっすり眠り込んでしまいました。

 夜、家に電話を入れると昼食に用意したパンも夕食も食べ、いつもと変わりがない様子ということでした。これは何を意味しているのでしょう。

  • 目標に立ち向かう気力

 体調不良(吐き気)は、プレッシャーや緊張感を抱えながら頑張った事への反動、バランスをとるものだったのでしょう。「仕事が終わった途端」に吐き気があり、「終わった」という実感で張りつめた緊張が緩み、安堵感を越えての吐き気ですから、すごい頑張りだったことが伺えます。そして、ひと眠りして、「平常心」を回復すると食欲が出て、いつもと変わらない様子とのことでした。回復力も大きいのではとも思いました。「自らの目標に立ち向かう気力の充実感に支えられている」姿との解釈の下に、これからAさんに対して具体的にどんな支え、配慮がこの局面を乗り越えられる応援となるのでしょうか。

  • SVとしての支えどころ

 「一人では厳しいけれど一緒に頑張っている仲間がいる、応援してくれる人がいる」と感じられる支えをすること、そして、頑張れた自分、だんだん上手になっていく自分を感じながらの経過を踏まれるように配慮をすることを考えています。

 私たちの支援は、皆さんの日常の実態に関心を持ち、行動という現象に振り回されないで、その意味するものをしっかり捉えながら適切な配慮を積み重ねていくことだと思います。また、職員が悩みながらも《これでよいのだ》と、手応えが得られる受け止めが出来るように応援することがSVとして担う役目とも思っております。

バード・ウォチング NO30 主体性の土壌について感じること

H30.4.2 理事 村瀬

 H30年度に入りました。年度末、恒例の「納めの会」を開きました。昨年度から始めた朝の体操の展開が少しづつ和やかな楽しいものになっていること、改めて感じました。

  • 納会‐体操ご披露から

 Aさんの表彰ご挨拶の中で母親から青い鳥での姿がご披露された。オリジナルな体操を楽しんでやっている、その姿を母親として安堵している旨。その折、傍らの彼が体操をやって見せるなど本人の満足感が伺え、体操プロが少しずつ成熟してきていることを感じた。

 さらに出し物披露では、声かけられながらも次々とメンバー入れ替わりで前に出て自分の持ち体操をやって見せる姿が続いた。一般の体操とはかけ離れている面もあり、なんだ?と思わされたりもしたが司会の解説を頼りに納得の展開になった。

  • 毎朝の体操がベースになって

 朝の体操は、家庭やGHから通所してきた仲間にとって「さあ、今日も一緒に楽しくやろう」とのきっかけづくりになっている。活動の準備運動的な面は副次的になっているが、曲がりなりにも皆さん立って体の部分部分を動かす10~15分ほど、結構な動きの量になってきた。

 いつの間にか、自分の体操の型が決まり、そろそろ自分の番かなと感じ、心の準備ができている。進行の促しに即応じて、「1,2,3・・・」の掛け声にみんなが唱和してくれて、体操の 中心に自分がいる。ワンポイントの自分の番が終わるとみんなの拍手で交代する。拍手が節目なのだ、おまけの体操もいいみたいだ、なかなか終わらなくてもみんなで付き合ってくれる。なんかうれしい。

 他愛もないことであっても、やれることがあって、仲間に期待されて、評価される、そんな日々の土壌は無言のうちに「あなたが大事」が注ぎ込まれる土壌になっている。

  • 経験に裏打ちされた主体性が持つエネルギー

 始めは「こうしてみたら…」と受動的であったが、経験に支えられてやり慣れて、受動的でありながら能動的な振舞いになっていく、受動的能動性と言われる姿になってきた。この能動性は、もう主体性そのもので「私がやる!」との意思の表れだ。そこに縁する「私」は心を動かされ、楽しそう、積極的だ、自分らしく振舞えている等々と感じる。そして私の心のありようは私の内に留まらない。価値あることは人に伝えたくなる、家族に、仲間に。こうして少なからず波紋が伝わっていく。

 受動から能動へと行動が変わて行いく過程を追ってきた、その変容に自分の心情を重ね合わせると行動の奥に潜む気持ちが感じ取れる。心情を解釈しようとする前に感じ取って即時的に反響する自分がいる。それこそ主体性のエネルギーの伝播力なのだろう。

  • 心情に着目すると対人関係の反映と感じ取れる

 この場の職員に支えられて、認められて、安心感を得ながら取り組んできた過程であろう。うれしいことと思えば、もっと応援したくなるのが人情である。それにつけても、より楽しく、より和やかに、より生活の張りになる展開に努力していただきたい。たかが朝体操、されど朝体操であり、一日のスタート起点の体操で一日の充実度合いが決まるのだと心してゆきたい。こうした解釈視点が支援のエッセンスを構成するのだろう。

バード・ウォチング NO29 現場の気づきから②

 現場からのエピソード―こんな風に出会っています、こんな手ごたえを感じています、こんな人なんだと新たな発見をして付き合っています、など人としての出会い方、心の揺れ動きに着目して簡潔に綴っています。こうした出会いを通じてそれぞれの方の全貌が把握され、人生を支える土壌になっていくことを期待しています。

  • 本当は気まぐれではなかったのです(池田重剛)

木曜日の午前中の外作業は、主に献品受け取りやリサイクルショップの黒ビニール袋や段ボール、書類運びの仕事です。そこに参加しているBさん、スタートもゴールもシンプルで分かりやすい動きですが、気まぐれで動けたり渋ったり、なかなか動けなかったり・・・。

ところが、ここ最近、加わった新しい仕事はすこぶる積極的なのです。それは金曜ランチのお肉購入、この仕事は特に説明も依頼もしていませんが、パッと目的が呑み込めて、必ず3階の調理場まで運んでくれます。

 主体的になれないことや自律的になれないのは、実は何のためかがもう一つ切実感を伴って感じられないからだったようです。お肉の件は、まさに3階に運ぶことでおいしくなるもの、ぼくが持って行かなければと責任感も期待感も人一倍なのでしょう。

 こんな新たなお手伝い的な役割の楽しみから、気まぐれのイメージが変わっていく機会になりました。

  • いっぱい気遣いをもらってきたから(船山宏美)

 外作業にいったCさん、カラオケができず「歌いたかったな~」と惜しい様子。思いのこもった一言に応えて「じゃ、昼休みに特別カラオケをしよう!」と提案。「いいの?」と目を細くして受けてくれた。さて、昼休み、カラオケセットを準備したもののCさんは何だか乗り気になれない表情。歌わないの?と聞くと「うるさくない?大丈夫?」と。確かに、周りにはお昼寝したり静かに休憩する姿が目に入る。「僕、動画、見るだけでいいよ」と友達と戦隊ものの動画を見て過ごしました。

 自分のために用意されたカラオケ、それよりも仲間のことを思い遣ってくれたのです。改めてCさんの気遣いに感心させられた一コマでした。仲間関係は、いろいろな凸凹がつきものですが、気づかってもらったり、特別な配慮をされたりすることが基本のベースになって、いつの間にか自分の中で反転して、思いやる心情に育ち、思わぬところで滲み出てくるのでしょう。うれしい一言でした。

  • 「俺って、頼りになる?」(篠崎 徹)

 「俺、(仕事を)たくさんやったよね?」と尋ねてくるHさん。「やっぱり、(俺は)頼りになる?」とも。「もちろん。また頼みますよ」と返すと、納得した表情になる。こうしたやり取り通して、自分自身を勇気づけているように見えます。

 それは、自分のことは自分だけではよく分からないから、との解釈ができるそうです。周りから、どんな風に見られているかを伝えられて”そんな自分”を感じ取っていくものだというのです。また経験を踏んで自分の得手が分かってきても”これでいいはずだけど…”と自信を持つまでには場数が必要だと言われます。

 きっと新人職員である私へのアピールもあるのかもしれません。「俺って、働き者なんだよ、知ってる?」「俺のことちゃんと見てくれよ、頼りにしてよ」こんなことも言いたいのかもしれない、と感じたやり取りでした。

バード・ウォチング NO28エピソード  現場の気づきから①

H30.3.15

 ここに挙げられたエピソードは、「私」のことに穏やかに付き合ってくれることで安心感をもらい、人と出会うことで心地よさを味わっている姿です。それが「あなたが大事」を注ぎ込むことであり、自己肯定感を高めるベースになっているはずです。この点がしっかり根付くことで、好ましい主体的な姿に出会う機会が増えていくことでしょう。楽しみながら見守っています。

  • 「僕もいるよ」って支えてくれたから樽見理沙)

 Dさんは大きな目とはにかむような笑顔が魅力的な女性です。でも時々、涙ぐんだり険しい表情になったりすることがあります。そんなとき私たちは、素敵な笑顔を取り戻すべく奮闘します。あっち向いてホイをしたり、にらめっこをしたり、大好きな芸能人の話をしたり、「大丈夫、そばいるよ」の気持ちを注いでいます。

 あの日は何だか涙ぐんでいました。私はDさんの隣にまったく同じ姿勢で座りました。程なく真似っこされていることに気づき、私の方をちらと見て、ちょっと笑ってくれました。真似をし続ける私に苦笑して、姿勢を変えます。さっそく私も真似します。今度は右手で頬杖をつきます。私も真似します。

こんな二人の真似っこ遊びを見ていた向かい席のEさん、ニヤリと笑って同じように右手で頬杖をつきます。三人とも同じポーズ。Dさん、これは困った、という風に笑っています。Dさん、今度は左手で頬杖をつきますが、このころになると真似っこを期待しての素振りになっているようでした。私たちもすぐに真似っこ。もう一度右手。すかさず二人で、また真似っこ。Dさん、おかしくてたまらない!というように、机に顔を伏せてしまいました。Eさんのお茶目な笑顔は、Dさんに向かって「ぼくもいるよ」と言っているような気がしました。こんな戯れ合う関係が安定のベースだなと感じとところです。

 

  • 仲間と一緒に過ごしているから(大久保淳子)

 光の差し込みが屈折して、時に不思議な陰影を見せる踊り場が好きなGさん。ちょっとみんなと間合いがある位置ですが、「Gさん、また福祉の集いで青い鳥の歌を歌うんですって」と歌い始めると“♪~真っ赤に流れる 僕の血潮~♪”のところでジェスチャー、唇を指さし、腕をなで下ろし、ガッツポーズの振り付けをそれらしくしてくれました。毎年参加している福祉の集いで歌っている青い鳥の歌がしっかり積み上がっていたこと、空想が好きでその中にいることも多いのですが、青い鳥の中で現実の仲間と一緒にしっかり過ごしていることを改めて感じた場面でした。

 なかなか噛み合わない時、アレコレ思いを巡らせるのですが・・・。でも、目を輝かせて、身を乗り出して、声を上げてつながる時、《これか!》と思わず高笑い的に声が出てしまいます。うれしいことですから。

 

  • 二人の自分》の折り合いに努力している(宮本 浩)

 折々にIさんって優しいなと感じることに出会います。散歩のとき、遅れている仲間を待っていて、そばに寄り添ってあげています。また、その日の頑張ったことを発表する場面でも、後から手を挙げた人に「どうぞ」と言って譲ってあげています。にこやかで人当たりの良い人柄だけに優しさも分かるけど、周りに気を使うからこそ時に逡巡したり、ためらったり、ある時は尻込みしたり…。

 “みんなの中の自分”があるから優しくなったり、不安になったりするのでしょう。”自分は自分らしく”があるから自分の思いが伝わったり、分かってもらえると満面の笑みで動き出せるのでしょう。きっとIさんは《二人の自分》の折り合いに努力している今なのですね。どうしたものかな?と思う時も、結構グループ活動に参加している姿を見ると着実な歩みを感じます。