2023.10.6
理事 村瀬
自己肯定感を大事にする
生活支援の目的は「できないこと、分からないことがいっぱいあるけど、私のことを大事にしてくれる人がいるから自分のことが好き」との気持ちを高めることです。この自分のことが好きという感覚が自己肯定感です。
自分のダメさ加減は、人に言われるまでもなく何となく分かっています。ですから、自分で自分のことを好きになることは意外と難しいことになります。「私のことを大事にしてくれる人」がいて〈こんな私でもいいのだ〉と自分のことが好きになれるのです。この周りの大事にしてくれる土壌が「自分のことが好き」という自己肯定感を導く土俵になります。「あなたが大事」を注ぐ関わりが、それぞれの内面で「大事にされているから自分が好き」に変わっていくのです。自分を励まし、ほめる働きになるのです。
この自己肯定感があれば、頑張れる自分、努力する自分、折り合える自分、素直になれる自分を引き出すことにつながります。また大事にしてくれる人を好きになることもできます。身近な人が自分を支えてくれれば「うまくできた」ことをその人と共有する人間関係になり自己肯定感が育まれると言えます。
行動に振り回されない
支援現場では、時に好ましくない行動に出会います。支援者が相手の行動を困ったことと捉えると、止めて欲しいと不快感を伴いがちです。行動の奥に潜む心情に目を向けられないと、つい行動の良し悪しで判断することになります。すると社会的に、常識的にみて黙認すべきでないとの判断になり、〈こうあるべき〉とアドバイスや〈おかしいです〉とジャッジに走ります。傾聴で強調しているノーアドバイス、ノージャッジに反する方向になり、相手には「ちっとも私の気持ちを分かってくれない」と反感を誘発する事態に陥ります。
他方で周りの目を意識するあまり問題が出ないことがよい支援と勘違いをしている節もあって、好ましくない行動を出させない配慮が優先されてきます。また昔ながらの躾指導の類は行動規制や抑制傾向を帯びるので注意が必要です。行動に着目すると相手の問題と解釈しがちになり、対人関係の視点が後退してしまいモグラ叩き的な事態になりかねません。
さらに問題を出せない抑制系の働きかけは強くなりがちで、かつ本人の心情とかけ離れていく傾向を含みます。その点から「私の時には問題が出ない」という状態は、なぜ出ないのか再検討する必要があります。
対人関係は相互に影響し合う関係だと捉えることで、「行動に振り回されるな」との関わりの原則が生み出されました。次の「心情に着目する」と抱き合わせで考えてゆきます。
心情に着目する
心情は、行動の奥に潜んでいるため直接に見ることができません。この壁をどう乗り越えるか。「よく見ればなづな花咲く垣根かな」(芭蕉)であり、「よく見る」ことで受けとめ方が変わってくるというのです。関心の持ち方がポイントだと指摘されています。例えば、リンゴですが、美味しそうと見る方がいます。また色鮮やかできれいと見る方がいます。さらに生産者のご苦労を思う方もいます。見る側の今が映し出される一面でもあります。
原則的に活動を通じて快を得て心が育っていくものです。その折、行為のでき具合ではなく取り組む心情を大事にします。「よく見る」関心が深まると心情に気づき、その行動の背景に渦巻く楽しさも面白さも、また悔しさや悲しさ、辛さ、反発、怒り、顕示性などなど、自己防衛的な心情も含めて底流に流れるものを感じ取れます。
「悔しかった」「悲しかった」「怒れちゃった」と共感できると、どう関わるか知恵や工夫に気持ちが向かいます。心情が関係で左右されるものだけに、気持ちに着目すると私との関係で課題をとらえ直しやすくなります。この感じ取った気持ちをどう支えるか、支え手としての私の役回りがクローズアップされてくるからです。
実は、その場の出来事に立ち会うと表に出てくる行動で今の気持ちはつかめます。さらに、より関心を持てれば少し前にさかのぼり、あの時のあの事が尾を引いて…、と今の気持ちの因果関係を把握できます。ところが、個々人の生活ですから把握しきれない状況も常のことです。そこで関係する職員の意見をすり合わせて方向性を絞ってゆきます。ここに現場の知恵がにじみ出るように努力してゆきます。
とはいえ、気持ちを大事にとの目標を掲げながらもうまくいかないことも多々出会います。他者の気持ちですから、受容しきれない、分かり切れない、受け止めきれないことがありますが謙虚さを忘れないことです。知識や経験に加えて、現場の知恵として蓄積していくことで自分の幅を広げていくことにつながります。
人との関係の中で「私」が変わってくる
自分の思いと相手の思いがぶつかり合う中で、どう生きていくかを悩み、自分の思いもあるけど、相手の思いを受け止めて、自分の思いを修正していくことを身につけていく、「みんなの中の私」を形作ることこそ主体的な生き方の一面といえます。私の生き方だけでは、気持ちよく生きていかれないことに気づく過程でもあり、行動ではなく、心に着目した時の目標がここにあります。
また心は相手との関係で右に左に揺れ動くものです。だからこそ相手に自分の思いをどう受け止めてもらったかによって、心のあり様は大きく変わり、行動も変わってきます。それを原因や理由があって不安定になっているのだから、その原因や理由を取り除けば不安定さは解消するはずだとの考えがあります。それは合理的かもしれませんが、人と人との関係という情緒の面が置き去られているようです。その原因や理由が独立して存在するのではなく、その人の気持ちに大きく影響を与えている面を見落としがちです。わがままになったり、甘えになったり、消極的になったり、反発や我を強くしたり等、情緒的な問題とつながっている点に気づいてゆきたいものです。
主体として育つのに必要な心の育ちは、自己肯定観、信頼感、その土壌となる「思いを汲んで肯定的に接する関わり」がしっかり根を下ろしていることです。「あれができるように」「これができるように」「力をつければ幸せになれる」「行動を変えれば集団適応ができる」等々の常識の思惑で行動中心に対応していると「できることを増やす」「負の行動を減らす」行動変容中心に関わることになります。社会的自立のために必要だからと適応を優先して「何ができて」「何ができないか」行動面、能力面など目に見える面ばかり見て、今どう思っているか、どうしたいと思って生きているかなど、心への着目が視野から外れてしまいます。見える行動に引っ張られていないか。こんな問いかけを常々自らに問いかける姿勢が求められます。
こうした考え方に立って生活支援を進めています。生活そのものは地域社会との関係、行政や医療との連携等、幅広いつながりの上にありますから福祉の独りよがりにならずに社会に受け入れられる存在でありたいと思います。