H29.7.8
理事 村瀬
GHのベテラン職員からの報告である。関わりの原則に徹した誇らしい支援、部分に囚われず、行動に振り回されず、気持ちに着目しようとするが上手くつかめない。でも、人間関係が織りなす気持ちの立ち直りが伺えた。
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Aさんの訳の分からない叩きに戸惑いながら・・・
朝起きた時から何か落ち着かない。いつものようにそばに行くといきなり叩き始める。それもかなり痛い。戸惑いながらも少し距離を取りつつ、どうしたものかと思いながら相方の職員に変わってもらった。やはり叩かれてしまう。他の利用者に付きながら朝の動きを進めていると、そばに来てまた叩き始める。事が進まず、これは朝の送迎に間に合わないかなと思いながら、(まぁ、送っていけばいいか)と腹を決めた。
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受け止めながら、私ことばで思いを伝える、
叩いたりしながらも何とか食事まで終わったが、感情の揺れが大きい。歯磨きになると抱き付いて泣き始める。「大好きだけど、こんなに叩いたら痛くて一緒にできないよ」と、するとさらに泣く。でも、そんなやり取りからスムースに、いつもの引っ掻かりもなく歯磨きを終えることができた。とはいえ案の定、送迎車に間に合わず、個別に送ることにした。車の手配をしている間に少し落ち着き、「遅いよ」と大きな声、(誰のせいよ)と思いながらも、事業所に付くと腕をからめて来て、触るように叩いてくる。「帰り、待っているからね」と別れた。
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なんだか分からない、でも怒りたさが伝わってきた
振り返ってみると、どうしたの?と思いながら、分からないまま、気持ちがつかめないままに、見守ってきた。止めなさい、痛いからダメ、いい加減にして、といった規制や押さえつける対応をしないで距離を取りながら、また距離が取れないままにやり過ごしてきた。叩くという行動に振り回されず、気持ちへの着目を心掛けてきたが、気持ちはつかめないままであった。
幸い、押さえつけなかったことで、私への気持ちがつながっていた。叱ってしまえば、私への気持ちが切れてしまい、甘えることも、訴えることも、依存することもできないまま、押し切られてしまう。立ち直るきっかけがつかめないままであったろう。別れ際の、触るような叩き方が”怒りたかった”とのサインであり、“ごめん”の気持ちまでは含まれていないだろうが、甘えられて、わがままを言えて、切り替わった姿に映った。
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原則通り付き合うことの意義
分からないからこそ、原則通り付き合うことになる。もしかしたら、こうかなと解釈をすることになる。今朝は「理由は分からないが怒りたかったのだ」。解釈であるから、因果関係や論理性に基づく根拠がなくてもよい。現実を肯定できる視点で解釈すれば、今の苦しい、混乱した気持ちに共感することができる。解釈が成り立たないままだと、気持ちへの肉薄が成り立たず、行動に困惑し押さえつけようとする働きかけが表に出てきてしまう。
(なんだったんだ)と思いながら、やり過ごせてホッとしている。こんな関わりがもしかしたら信頼の土壌になっているのかもしれない。不適切に思える表現も出していいのだ、この人たちは「こだわり言語」を使いこなす人だとの見方に、なるほどとうなずかされるエピソードであった。