バード・ウォチング No15 エピソードを語ることから生まれるもの①

H29.9.7  理事 村瀬

 生活介護で、GHで毎週勉強会を開いている。特にエピソードを通じて、その人の全体像把握を意図している。エピソードこそが全体像の把握の有力な手立てであり、全体像の把握こそが幸せへと向かう関わりの視点を生み出す土壌だと感じられる。

  • 急な送別会になって・・・

 Aさんは、その日、作業をする心づもりでいた。説明されて折り合ってくれたが・・・。メッセージを伝える番になり、振り返りもせず塗り絵を続ける。「この葉っぱでキリが良くなるから、そこで」と間合いを取る。進行している間に次のところへと塗り絵が進んでいく。Aさんにしたら「今はまたキリの悪い」ところなのだろう。そこで「Aさんは最後が好きだから、最後にするね」と再譲歩すると、うなずいてくれた。

  • 追い込まないことを優先して

 さて、3度目の誘い、深い追いにならないよう、バントタッチで気持ちを受け継いだからとAさんはパスし、職員が代行する腹構えで臨んだ。嵐の歌が好きなAさん、「歌のプレゼント」を提案、曲をPCから流す。この提案でようやくほぐれ、歌ってくれた。でもそれだけではなかった。歌い終わると「元気で行ってください。さようなら」と送別のコトバが口をついて出た。素直になれた自分、自分勝手で終わらなかった自分、きっと自分でも一安心の瞬間であったろう。一方で、立ち直りへの事前の配慮が支援課題になった。

  • GHの出来事―甘えて、甘えて・・・

 利用者5人のGH、それぞれに手をかけ進めるが、それが許せないBさん。他の方に手をかけると「それはダメ」とばかりに腕を叩いてくる。「痛いから止めてね」で「エヘヘヘ…」と少しの間止むが、また繰り返す。自分の番になると、特に入浴は、職員の手を取って湯につけてマッサージ、反対の手も引っ張り、さすってくれる。

 Bさんは、母親立場の職員を「私の…」という思いの関係に仕立てている。それなのに、目の前で次々に「私」以外の人にも接している姿が許せないのだろう。その間「私」は一人ぼっちだと訴えているのだろう。気持ちは分かるが、この現実には困惑する。

  • 思いを受けて「快」を目標に

 こんな時はどうしたらいいのか、受け方、やり過ごし方、止め方等、行動レベルの対処では、いつの間にか気持ちを抑制する働きかけに終わってしまう。Aさんは分かっているのだが気持ちを切り替えきれないで苦悩している。Bさんは関係を深めたいと願い、担当職員も気持ちに応えようとするからこそ現実の困難さにぶつかっている。

 管理者いわく、GHは利用者の快に向けて手をかける仕事、利用者に好かれる立場とのこと。例えば、トイレはさっぱりするようにお尻をきれいにしてくれる。歯磨きでは、食後の雑味感をすっきりするように仕上げ磨きをしてくれる等、快の演出への役回りを担う。行為による快を媒介に情動の快へとつなげていく、「世話する―世話される」の行動的な関係に止まらず、「大事にされる―大事にする」心的な関係を軸に動いていると云える。

  • 気持ちへの着目から希望が生まれる

基本は、関係が広がることで新たな希望が生まれる、その希望を目標にしていくことで、目先の苦しさ、不充足感を乗り越えるエネルギーになるということだ。例えば、高校球児は1勝、Bさんは一緒にお風呂に入ることかもしれない。全体像の把握の下、こまめに心情を先取りして、応援する人の存在感が根付くまでの道行きを踏んでゆきたい。

 生活支援はリフレッシュし、エネルギーの再生産につなげる、目標持って大人の歩みを続けられる生き方を応援することだ。そんな生活支援を描いている。