バード・ウォチング No25 踏ん張りどころを見出した

H29.12.18 理事 村瀬

 先日、障害者団体の研修会に参加した。歴史のある団体で、雰囲気からも当事者や親の会、関係機関の集まりを感じるものであった。質疑の時間になり、家族の質問に愕然とした。親の苦悩、障害受容しきれない自らへの苛立ちを述べられた。と同時に、通所事業所が専門機関として機能していないことを痛感させられたからである。

  • 父親の苦悩、そして苛立ち・・・

 精神障害を抱える40代の息子の父親の思いが語られた。≪講義の中の「発達保障」という言葉が魅力的に聞こえた。障害があっても、いくつになっても誰もが発達していく存在なのだとの意を信じたいと願っている。しかし、現実を振り返ると、精神が退化しているようで、幼稚である。年齢に応じた発達をしていない。暴力の問題でも忍耐を重ね、親が障害を負うこともいっぱい知っている。これは本人の主体が弱いから発達しない。本人がこうしたいと決める力が乏しいからどうにもならない。どうしたら育つのか?発達する力を信じたいが…。≫縷々述べられたがこうした苦悩であった。

  • 障害受容について

 親が子供を信じなくて誰が信じ、受け止め、将来の希望を語るのだ…。親が信じられないものを、接点の少ない周りの第三者が信じることなどできやしない。周りの方々は、外見からの表面的な自分との違いに目が向けられ偏見と差別を生んでしまう。

 ならば、親の障害受容は親の責任か、いや違う。そんな酷な事はない。思わぬ形で障害者の親となり、その現実を受け入れる努力を日々重ね、日常的に一生懸命に育ててきた。その事実が厳然とある。どなたも親になる心づもりで数年と10カ月を経て、生まれてきた子を愛おしく育てている。しかし、この方も思いを覆され、受け止め難い現実を突きつけられて、それでも自分の人生をかけて受け止めてきたと推察する。

 その折の、社会の受け止め方、専門機関の手の差し伸べ方等があまりに未熟な仕組みなのだと、改めて感じた。

  • 「青い鳥の目指すもの」から考える

 振り返って青い鳥の考え方を整理してみる。組織目標は障害者の豊かな人生を応援することに尽きる。自己実現、幸せに生きること。そのために自分のことが好きと思える自己肯定感を育むことが第一と捉えている。周りから《あなたが大事》を注ぎ込まれて自分のことが好きになる、これが人の育ちだと位置づけた。いろいろな行動は本人の資質と周りの物的・人的環境との相互作用であり、不適切な対応から好ましくない状態が、適切な関わりから好ましい人柄が成り立つ、この人間関係論は現場の実感的な揺るがない手応えと受け止めている。

  • 関わりの原則から

 この50年、障害者権利条約が結実するまで世界の胎動が続いてきた。ノーマライゼーション、社会モデル等々を取り上げ、ゆっくりだが障害者を取り巻く状況を変える力になってきた。具体的な関わり方の指針も各レベルで出ており、担当する障害者の持ち味と応援する私の持ち味とを共に活かせるように組み立てたい。そのための現実的適切性を高める手法がエピソードである。こんなことがあった、こんな事態に困惑した、具体的なエピソードを材料に仲間の知恵を出すことができる。エピソードを素材にして関わりの土壌を改善したい。ここから質問者・家族への責任を果たすことにつながるのであろう。課題がはっきりしたのだから、成熟に向けてここが踏ん張りどころである。