バード・ウォッチング NO35 Aさんのおまじない

H30.6.15 理事村瀬

  • ボクも行きたかったのに・・・

 二人の仲間と車で買い物に行くことになった。すでに駐車場に移動しているところで、担当が息を切らせて「Aさんも連れて行ってもらえないか?」とのこと。姿が見えなくなったら、どうしても行きたくなってしまった由。Aさんは承知していたのだが、その場に臨んで「ボクも」との気持ちが高じてしまったようだ。

 

  • どんなふうに迎え入れるか?

 きっと「行きたかったのに…」と怒れてしまったり、悔しがったり、悲しかったりで気持ちが落ち着かないのであろうと推察した。そこでウエルカム体制で待つことに、車外で手を振って「待っていたよ」のメッセージを送ることにした。

  案の定、怒っているような無表情の顔つきで、後部ドアを開けると助手席がいいと「アアー!」とぶっきらぼうに要求。座るなり体育座りの様に膝を上げブスッとしている。スーパーについて、降りられないかもと思いながらドアを開けるとすんなり降りて、「朝日新聞なし、東京新聞なし、読売新聞ある」と繰り返す。何のことやらと思いながら遅ればせながらオーム返しをしていくと、そういえば前にも聞いたことがあるなと思い出しているうちに、すっきり気持ちが切り替わった。

  • 手に入れたおまじない

 あたかも自分のおまじないで気持ちを立て直していたのだ。きっと、この言葉がおまじない効果を得るまで紆余曲折があったことであろう。ようやく手に入れたおまじない、この言葉を口にすると何とか気持ちが落ち着く、そんな手ごたえを得られているのだろう。社会的に意味のない言葉であろうが、不合理なことであろうが、このおまじないこそが自からを律する手立てになっているのだろう。

 周りから、こだわり、決め付け、暗号、「またかぁ」等々、時に蔑み的に見られようが気持ちを立て直すかけがえのないフレーズになっている。時に独り言的に、時に意味不明語として、時に素敵なおまじないとして口から出て、自分の気持ちを抑制してくれる自律心を支える言葉になっている。こんなおまじないを使いこなす暮らし方は、一つの大人の姿に映ってきた。大人のAさんの姿をまた発見した思いである。

  • やり取りということ

 人との出会いや関わり方は、一方的に自分の思いだけで関わっていることは少ない。相手の人柄、その折々の心情を察して、こちらの気持ちを整え、受け入れたり、励ましたり、淡々と接したり、時には端的に踏み込んだりする。さらにリアクションを受けてまた工夫を重ねる。その折の姿勢は関係の在り方に左右される。仲間として、上の立場として、また励ます関係なのか、対立する関係なのか、等いろいろ変わってくる。

 さて、私たちは支援の場で出会っている。支援の根幹は相手の主体を発揮する土壌づくりと心得ている。

 後日談、「お昼休み、散歩に行こうか?」「ありません」と断られましたが、「朝日新聞・・・」は健在で、決め台詞を言ってニコッとしておりました。