バードウォッチングNo.98 「エピソードを生み出す努力」

日野青い鳥福祉会
2024.2.6

☆苦しい胸の内

 独白:“やる気と優しさがあれば福祉の仕事もできるだろうと思って入ってみた。ところがどうも、エピソードに取り組んでいると、考えても焦ってしまい、時間ばかりかかっている感じで・・・、うまくいかない・・・、なぜ・・・”

 こんな苦しい胸の内を聞かせていただいた。しかし、私には頼もしい悩みに聞こえました.真面目に、正面から、エピソードに取り組む姿勢を垣間見た感触でした。こうした向き合い方を続けてくださったら、場数を踏んで着実に関わりの感性が鍛えられるはずだと思ったのです。

☆現場が引っ張ってくれる

 現場は、日々利用者と出会っています。活動を介してゆっくりした過ごしを共に、食事やら満足の間合いを一緒に、ヨ~シと頑張りも支えながら、またイヤだなと感じることも笑いながら・・・、そんな姿が目の前に流れているのです。どの場面も「あいうえおの実践」の場面です。あいさつ、いたわり、うなずき、えがお、おうえん-これらの関わりは私の感性に根ざして私の身体を介して相手に伝えていくものです。

☆感性は鍛えられる

 そして「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉)であり、「よく見れば」見え方が変わってくるというのです。「よく見れば」、この姿勢は私の感性が反映するのです。一歩踏み込んで見る、一言加えてみる、一呼吸おく、一度表情を緩める、ひと加減張りを変える、こんな関りの硬軟・緩急につながってゆくのでしょう。おおもとの相手に関心を持つことを軸に自然と身についてくることですから。長期戦を承知して、安心して見守っています。

☆5分のきざし

 別件で、なかなかうまくかみ合わないかの様に感じている報告に触れました。でも、一つのつながりが生まれてきた由。食後に二人して一緒に歌うのだそうです。1日の持ち時間のうち、わずか5分かも知れませんが楽しみなきざしを見出した5分なのだと感じました。

 普通に暮らしを支えている一日です。当然、スケジュールがあり、家庭よりも計画的な過しですが課題、課題の窮屈な暮らしではありません。より自由な過ごしを、和やかに過ごすことでこそ穏やかな人柄が定着してくるのであろうと期待をしています。

 何はともあれ、楽しみを共有する関係になっているのですから、これからです。

☆私の姿勢が問われている

 暮らしの中の触れ合いは、思わぬ事態も含めて日常ですから私と利用者たちとは刺激しあっている関係です。面白い、すごい、いいなぁと肯定的にみる関係であればプラスに作用するものですから、この受容的な感性を持つ努力が欠かせないようです。

 気になることを見詰めてもどう応援したらよいか分からずに、行動指示に陥りがちです。一方で、現実の良いところを選りすぐって見出せば、私たちも楽に出会えるというものです。繰り返しますが、楽しさが一番の行動原理です。

バードウォチング No97 生活支援を振り返る

日野青い鳥福祉会
理事 村瀬

 知的障害があっても児童期、学齢期と歩みにつれて「できる」「分かる」ことが増えていき、自分のことができたり周りのことが分かってきたり、能力的な力の喜びを感じる頃合いを経ていく。年齢と共に遅れながらも生活圏が広がって一人前になっていく様子で嬉しさを共有できます。
 そして、仕事で、家事で役に立ったり、なんとなく大人になってくるような感じも味わいます。
 しかし、いつの間にか普通を求めて、常識をモノサシに、求めれば頑張る素直さから知らず知らずのうちに「もう、ちょっと」「もう、ちょっと」とハードルが上がり、本人は生きづらくなり歪みが出始めても気づかない周りがいる。そんな関係が思い浮かんできます。

*生活支援の原則は

 さて、気づかないだけに進行しがちな歪みに、なんとか歯止めをかけるための手立てが原則の確認です。エピソードを通じて、少しずつ整理されてきたことを簡潔にまとめてみます。
①    生活支援の目的は、穏やかな日々を得ること、穏やかな人柄を得ることになります。
②    「人のために役立つことが幸せ」という人間観に立ち、些細なことで「ありがとう」と言われる関係は何物にも代えがたいものです。障害があってもこうした関係はいっぱい生まれるものです。
③    知的障害者は感性的な存在ですから自分の気持ちを大事にされることで、相手を好きになります。好きな人に寄り添える日々は穏やかな過ごしを確保しやすくなるものです。
④    さらに穏やかさは日々の出会い方に左右されるものです。日常的にどう見られているかにより気持ちのあり方が変わってきます。不安も安心も関係によって影響されるものです。
⑤    だからこそ、相手の行動に着目するとその人の問題と見えてしまい、指摘しがちになります。気持に着目すると私との関係と見ることができるから、私との関わりの工夫が生まれます。
「行動に振り回されるな」と基本の出会い方が問われていることも承知してゆきたいものです。

バードウォッチングNo.96

日野青い鳥福祉会
理事 村瀬

 法人のエピソード24集が発行されました。44名の日頃の暮らしぶりが語られています。リード文をご紹介します。

☆エピソードは全体像

 多方向に渡るエピソードが語られる方、独自の領域に繰り返し焦点を当てている方、それぞれで良いのだと思います。〈なるほど、これがAさんだ〉と素直にうなづけるからです。エピソードは、その方の全体像を語っていることになります。

 全体像とは〈こんな凸凹があって、この力を、こんな風に発揮して、こんな暮らしをしている〉と捉える視点です。生活支援は関係を大事にする立場ですから、自分の力の活かし方には、これまでの人間関係が反映していると受けとめます。

 生きづらさの要因には、障害そのもの、環境、人間関係などが複合的に作用しているのが現実ですから、その上塗りをしないためにもこれまでの歩みの概略を承知して臨みたいと思います。

☆見る―見られる関係

 さて、生活の原点は「見る―見られる」関係にあります。私がAさんをどう見るか、プラス面に着目してみるか、マイナス面に囚われてみるか、プラスに見られたらAさんは安心感をもって出会えるでしょう。一方、マイナスに見られたAさんは不安と緊張に縮こまる傾向にあるでしょう。私の見方がAさんの心情に影響すると捉えます。ですから、支援側の人間観、障害観が問われるのです。

 また、課題行動に出会ったとき、行動に着目するとAさんの問題と捉えがちになり、行動修正が表に出てきます。他方、心情に着目すると私との関係に思いが及ぶ視点が生まれます。どう配慮ができたか、不安をどう受けとめられたか、私の関わり方の工夫に力点が置かれます。

☆明日のエネルギーを出すために

 エピソードをまとめる作業は、Aさんの直近の暮らしを振り返ることです。そのまま自分の関わり方の見直しと重なります。正直、上手くできたと感じることもありますが、多くはズレていたり、思いもかけないことが間々生じます。しかし、自分の未熟さを振り返りつつも、一緒に関わることの楽しさに焦点を当てたまとめをする方向でいます。

 「関係」を軸にするとは、「楽しくあれば、また明日もお互いに気持ちよく出会える」と受けとめることです。実務としては、振り返りの反省、アドバイスを受けて、工夫をして臨むことを基本とします。

バードウォッチングNo.95 青い鳥の生活支援の思い-生活支援の原則②

2023.10.6
理事 村瀬

自己肯定感を大事にする

 生活支援の目的は「できないこと、分からないことがいっぱいあるけど、私のことを大事にしてくれる人がいるから自分のことが好き」との気持ちを高めることです。この自分のことが好きという感覚が自己肯定感です。

 自分のダメさ加減は、人に言われるまでもなく何となく分かっています。ですから、自分で自分のことを好きになることは意外と難しいことになります。「私のことを大事にしてくれる人」がいて〈こんな私でもいいのだ〉と自分のことが好きになれるのです。この周りの大事にしてくれる土壌が「自分のことが好き」という自己肯定感を導く土俵になります。「あなたが大事」を注ぐ関わりが、それぞれの内面で「大事にされているから自分が好き」に変わっていくのです。自分を励まし、ほめる働きになるのです。

 この自己肯定感があれば、頑張れる自分、努力する自分、折り合える自分、素直になれる自分を引き出すことにつながります。また大事にしてくれる人を好きになることもできます。身近な人が自分を支えてくれれば「うまくできた」ことをその人と共有する人間関係になり自己肯定感が育まれると言えます。

行動に振り回されない

 支援現場では、時に好ましくない行動に出会います。支援者が相手の行動を困ったことと捉えると、止めて欲しいと不快感を伴いがちです。行動の奥に潜む心情に目を向けられないと、つい行動の良し悪しで判断することになります。すると社会的に、常識的にみて黙認すべきでないとの判断になり、〈こうあるべき〉とアドバイスや〈おかしいです〉とジャッジに走ります。傾聴で強調しているノーアドバイス、ノージャッジに反する方向になり、相手には「ちっとも私の気持ちを分かってくれない」と反感を誘発する事態に陥ります。

 他方で周りの目を意識するあまり問題が出ないことがよい支援と勘違いをしている節もあって、好ましくない行動を出させない配慮が優先されてきます。また昔ながらの躾指導の類は行動規制や抑制傾向を帯びるので注意が必要です。行動に着目すると相手の問題と解釈しがちになり、対人関係の視点が後退してしまいモグラ叩き的な事態になりかねません。

 さらに問題を出せない抑制系の働きかけは強くなりがちで、かつ本人の心情とかけ離れていく傾向を含みます。その点から「私の時には問題が出ない」という状態は、なぜ出ないのか再検討する必要があります。

 対人関係は相互に影響し合う関係だと捉えることで、「行動に振り回されるな」との関わりの原則が生み出されました。次の「心情に着目する」と抱き合わせで考えてゆきます。

心情に着目する

 心情は、行動の奥に潜んでいるため直接に見ることができません。この壁をどう乗り越えるか。「よく見ればなづな花咲く垣根かな」(芭蕉)であり、「よく見る」ことで受けとめ方が変わってくるというのです。関心の持ち方がポイントだと指摘されています。例えば、リンゴですが、美味しそうと見る方がいます。また色鮮やかできれいと見る方がいます。さらに生産者のご苦労を思う方もいます。見る側の今が映し出される一面でもあります。

 原則的に活動を通じて快を得て心が育っていくものです。その折、行為のでき具合ではなく取り組む心情を大事にします。「よく見る」関心が深まると心情に気づき、その行動の背景に渦巻く楽しさも面白さも、また悔しさや悲しさ、辛さ、反発、怒り、顕示性などなど、自己防衛的な心情も含めて底流に流れるものを感じ取れます。

 「悔しかった」「悲しかった」「怒れちゃった」と共感できると、どう関わるか知恵や工夫に気持ちが向かいます。心情が関係で左右されるものだけに、気持ちに着目すると私との関係で課題をとらえ直しやすくなります。この感じ取った気持ちをどう支えるか、支え手としての私の役回りがクローズアップされてくるからです。

 実は、その場の出来事に立ち会うと表に出てくる行動で今の気持ちはつかめます。さらに、より関心を持てれば少し前にさかのぼり、あの時のあの事が尾を引いて…、と今の気持ちの因果関係を把握できます。ところが、個々人の生活ですから把握しきれない状況も常のことです。そこで関係する職員の意見をすり合わせて方向性を絞ってゆきます。ここに現場の知恵がにじみ出るように努力してゆきます。

 とはいえ、気持ちを大事にとの目標を掲げながらもうまくいかないことも多々出会います。他者の気持ちですから、受容しきれない、分かり切れない、受け止めきれないことがありますが謙虚さを忘れないことです。知識や経験に加えて、現場の知恵として蓄積していくことで自分の幅を広げていくことにつながります。

人との関係の中で「私」が変わってくる

 自分の思いと相手の思いがぶつかり合う中で、どう生きていくかを悩み、自分の思いもあるけど、相手の思いを受け止めて、自分の思いを修正していくことを身につけていく、「みんなの中の私」を形作ることこそ主体的な生き方の一面といえます。私の生き方だけでは、気持ちよく生きていかれないことに気づく過程でもあり、行動ではなく、心に着目した時の目標がここにあります。

 また心は相手との関係で右に左に揺れ動くものです。だからこそ相手に自分の思いをどう受け止めてもらったかによって、心のあり様は大きく変わり、行動も変わってきます。それを原因や理由があって不安定になっているのだから、その原因や理由を取り除けば不安定さは解消するはずだとの考えがあります。それは合理的かもしれませんが、人と人との関係という情緒の面が置き去られているようです。その原因や理由が独立して存在するのではなく、その人の気持ちに大きく影響を与えている面を見落としがちです。わがままになったり、甘えになったり、消極的になったり、反発や我を強くしたり等、情緒的な問題とつながっている点に気づいてゆきたいものです。

 主体として育つのに必要な心の育ちは、自己肯定観、信頼感、その土壌となる「思いを汲んで肯定的に接する関わり」がしっかり根を下ろしていることです。「あれができるように」「これができるように」「力をつければ幸せになれる」「行動を変えれば集団適応ができる」等々の常識の思惑で行動中心に対応していると「できることを増やす」「負の行動を減らす」行動変容中心に関わることになります。社会的自立のために必要だからと適応を優先して「何ができて」「何ができないか」行動面、能力面など目に見える面ばかり見て、今どう思っているか、どうしたいと思って生きているかなど、心への着目が視野から外れてしまいます。見える行動に引っ張られていないか。こんな問いかけを常々自らに問いかける姿勢が求められます。

 こうした考え方に立って生活支援を進めています。生活そのものは地域社会との関係、行政や医療との連携等、幅広いつながりの上にありますから福祉の独りよがりにならずに社会に受け入れられる存在でありたいと思います。

バードウォッチングNo.94 青い鳥の生活支援の思い-生活支援の原則①

2023.9.19
理事 村瀬

人と人との関係で支える

 生身の生活者として、地域社会で暮らしていれば、スムースなこともぶつかってしまうことも日常的に生じます。そこで、身の回りのことも仲間関係もできないことは気持ちよく応援する、できることは自分のこととして取り組む、こうした生活の「介助の分」と「自分の分」を立て分けておくことでつき合いやすさが確保されます。

 「生活モデル」といいますが、生きづらさの要因を本人の障害にあるのではなく、周りの環境が整っていないためと捉えます。一方で「障害はあなたの問題だから、あなたが努力するべき」との障害克服型の医療モデルでは行き詰ってしまいます。個々の努力で乗り越える発想ではなく、対人・対物の環境を整えることで生活しづらさを軽減していく立場です。

 人は周りからどのように見られているか、思われているかによって「私」の気持ちの置き所や安定度が変わることを示しています。人の出会いは、「見る―見られる」「思う―思われる」こうした双方の関係で成り立っているのが実際です。私が(いいな)と見ていることは、そのまま(いいな)と見られている彼がいます。また、私が(うれしい)と思っていることは、(うれしい)と思われている彼がいるわけです。

 このやりとりから生まれる情感が人柄に反映します。自分の人柄は自分のことですが、自分一人では形作られるものではなく、周りの人たちからどんな刺激を注ぎ込まれたかによって形作られると言われます。この人間関係によって「私が作られる」との考え方を支援の原則に据えています。自分は自分だけで存在するのではなく、周りの相互作用の中にあるということです。

 さらに、人は人との関係の中に生きています。それは現実的に相互に影響し合う生き方をしていることになります。影響し合う関係とは相手の働きかけに応える応答的なやりとりや触発された感情が湧き出てくることになります。

「いま・ここ」を大事にすることから

 長野・明星学園の宮下理事長から「いま・ここ」を大事にすることから将来の姿を描く5点のアドバイスをいただきました。①ストレング(本人の強み)を生かすことは安心につながる気持ちを育てる。➁分かっている・できることから始めることで、支持的環境になり、伝えようとの気持ちが膨らんでくる。③いつもと同じにすることで、時間的な見通しが持て期待して待つことができる。④肯定的な評価は自信を育てる。⑤感じている・伝えたいと思っているとの前提に立つことで気持ちに寄り添える。こうした点こそ支援の肝なのだ、と深くうなずいているところです。

 「いま・ここ」の気持ちを「そう、そうなんだ」と受けとめてもらえば、分かってもらえたと安堵感が現実との折り合いをつけるゆとりとなり、立ち向かうことができるというのです。はじめから「こうしなさい」「やめなさい」と返されたら「こうして欲しい、こうしたい」という気持ちは行き場を失い、その思いを自分一人で飲み込み切れず、次への力が生み出せなくなります。本人の思いはどんな場合でも、その内容にいかんに関わらず、一旦は受け止めることはできるものです。行動を受け入れることはできなくとも「今はそんな気持ちなんだ」と気持ちは分かったというメッセージを出すことができ、この「受けとめ」が「わかってもらえた」との間合いを生み、次の展開が変わってくるものです。

 またもう一つは、先年のNHK障害福祉大賞でつづられている〈ママの幸せは僕の幸せでもあるんだよ〉という点です。くすぐったいいい方ですが、誰だって自分一人の幸せはないのですから、正にここだと思うのです。地道な思いの継続の中に歩んでいく姿の一端が実現されていることを通じて“こんな暮らしもいいものだ”と改めて受けとめています。

全体像を把握する

 各領域の行動能力を評価するアセスメントであらあらの力が把握できます。でも、これで本人のことが分かったことにはなりません。能力と生活力とは次元の異なる視点だからです。例えば、建築資材を集めても家は建てられません。この間取りで、この柱はここに据て・・・、と全体構想図が見えてこないと途中で歪みが出て頓挫するでしょう。

 持っている能力を使ってどのような暮らしを作っているか。なぜ、こんな行動をしがちなのか、このことで本当は何を訴えたいのかを洞察します。こうした疑問になんとか一つの見方を生み出していく実践の先に全体像の把握が生まれます。何歳だから、愛の手帳が何度だから、支援区分がいくつだから等々、発達視点や外枠の客観的な指標でその方の全体像を捉えることは適切とは言えません。

 今までの歩みの経過で、過欲求にさらされて不充足感がありはしないか。また比較されて負い目を感じていないか等々、こうした課題の不適切さに類するダメージがないか。さらに辛さ、悲しさ、淋しさを味わってきているのか、納得できないことを押し付けられてこなかったか等々、心理的なダメージはどうであろうか。逆に素直さ、人懐っこさ、穏やかさはどこから生み出された円満さなのかも振り返り、人柄のポイントとして承知してゆきます。こうした点が混じり合いながら全体像を作り上げてゆくのです。こんな生い立ちの反映の中に今の暮らしがあることを知って関わりを持つことになります。

 個々に障害の程度が違い、これまでの道のりが違い、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみもそれぞれであり、その歩みの中でその方の人柄が形づくられてきたのだから、凸凹が多彩で個人差が大きいのです。生きづらさが違い、課題の出方が違い、そして得意や好きなことが違い個々の暮らし方が異なってきます。こうした過去の経緯が今の暮らし方を左右する全体像を作っているのです。持っている力でどんな仲間との暮らしになっているのか、これを全体像と捉えています。

 この全体像把握のメリットは現象や行動に一喜一憂しないこと、本人の根っこの生きづらさに焦点化して、現実の暮らし方を再整理する視点が生み出され、今何を大事にするかが絞れてくることです。

バードウォッチングNo.93 青い鳥の生活支援への思い-知的障害の生きづらさ

2023.9.11
日野青い鳥福祉会
理事 村瀬

常識が行き交う社会で生きること

 障害者に対する社会の見方は、いつの間にかその人の力のちょっと上を求めてしまう傾向になりがちです。社会は甘くないと常識的な生活を求められることが多く、また折り合いどころを弁えられない点を突かれ、甘やかしたらダメ、一度許したらエスカレートすると否定的に見られてきました。結果的に生きづらい土壌になっています。

 つい最近まで、きちんとすることが良いこと、きちんさせることが良い支援と結果評価に晒されていました。甘えを出させない、わがままを言わせないことが大人の姿として望ましいとされ、自制的な生活態度に導くことを良しとする訓練的な支援観が強かったようです。

 常識を目安に〈こうあって欲しい〉と背伸びを求めてきたのです。障害に関わらず、分かる・分からない、できる・できないを軸に評価する社会で生きることの厳しさは想像に難くありません。まして知的障害を持っている方にとっては、否定的に見られる場が多くなることは目に見えています。

 概して一般的な見方は、行動に着目するあまり不適切な振る舞いをからかったり、直接的に修正を求めたり、はたまた相手にされなかったり、社会の能力観が反映されるものですから本人には冷たく厳しい風になります。障害者本人はそれに応えきれないため追い込まれ、緊張感や不安感に惑わされて安定度が揺らぎます。

 こうした関係は歪みを生み、生きづらさが上塗りされてゆき、その結果として不適応行動を誘発しかねません。多くの不適応行動は、障害の特異性に気づかず、関わりがズレることで本人の内面の不充足感から生じた二次障害です。ですから、周りの見方が変わらないと不適応行動からの立ち直りができないと言えます。

 能力の点で障害者ははじき出され、取り残されてしまいがちです。一方、生活の点ではどんなに重い障害があっても備わった力で生きていくことになるのですから、自分の丁度の暮らし方でよいのだと捉える現実肯定的な見方が望まれます。

分からない、できないことの生きづらさ

 障害により分からないこと、できないことが間々見られます。問題は分からないこと、できないことが分からない、できないで終わらない点にあります。確実に、そのことが心情に影響し、不安、緊張を伴います。実際には、多くの方が不適応行動を招きかねません。ですから、分からないこと、できないことへ手を入れるだけではなく、この不安、緊張を解きほぐすことが大事になります。

 そこで日常の行動観察やアセスメント(行動分析)により、どのような力を使って暮らしているかを把握しておきます。「ない袖は振れない」のですから難しいことは課題としない、気持ちよく応援する立場を取ります。支援の原則は〈今「ある」姿を認めることが、次の姿に「なる」エネルギーを生み出す〉と言われます。この「ある」から「なる」への変容は生きづらさの心情を受けとめることが第一歩です。良いことも好ましくないことも〈いま「ある」姿を認めること〉が〈次の姿に「なる」エネルギーを生み出す〉と捉えています。「受けとめる」という働きは、単に現状を肯定することなどではなく、今の状況を変える働きをすでにその内側に孕んでいるのです。

障害の壁にぶつかりながら

 知的障害は、いわば頭の中で考える知的な力が障害されています。過去の出来事、未来の事柄も今ここにないため、頭の中で描かなければなりません。この点がうまくいかず、生きづらさになります。

 考える力が覚束ない分、感覚に頼って生きているとも言えます。視覚、聴覚、触覚などを手がかりにしています。こうした感覚は、〈いま・ここ〉で感じられる手がかりです。手ごたえの強い刺激になりますから着目した感覚に引っ張られ偏ってしまいがちで、こだわりなどと批難されがちです。この感覚行為はまさに個人の感覚であり、この自分の感覚を手がかりにせざるを得ないため、勢い相手の立場に立つことが難しくなります。そこで自己本位な色合いに引っ張られる傾向にあります。

 こうした障害による自己本位的なこだわりと見られがちな生きづらさは、社会の障害者に対する見方によって大きく変わってきます。社会で一緒に暮らすのですから、障害は障害者と社会との間にある壁と捉えています。その困難さの多くは、社会から効率性や一律性を求められる際に生じます。

 支援に即してみると、障害に関わらず一人一人に凸凹があるのは自然なことと受け止めています。そこで、自分の強みである凸を励みに努力する姿を引き出します。ここに着目できれば、頑張りがいも生きがいも、そして目標も自信も視野に入れることができることでしょう。

 一方で、自分の弱さである凹を受け入れ、卑屈にならないこと。凸が表に出れば凹は相対的に課題性が薄れるものです。この関係を承知しておくことで由として、凹の修正に力点を置くことは控えます。

 さらに〈いま・ここ〉の感覚的な暮しは、今を一生懸命に生きる土台であり、その真面目な「人となり」を作っていると捉えています。じっくりと感覚的手がかりを身に着けてゆきつつ、次にやってくる経験的に分かって臨む準備につながっているとの見方に立つことができます。

バードウォッチングNo.92 エピソードの捉え方

2023.8.22
日野青い鳥福祉会
理事 村瀬

はじめに

 だいぶ前の歌ですが、あるTV主題歌として使われていることを知り、懐かしく聞き返しました。「♪君と逢ったその日からなんとなくなんとなくしあわせ♪」その昔、スパイーダース・井上順さんが歌った馴染みの曲です。こんなほんわかとした暮らしぶり、しあわせぶりをエピソードで描けたらと願っています。

 日々の暮らしは悲喜こもごもの中にあります。エピソードを通して仲間と共に暮らす楽しさや新たな芽生えなどをすくい上げて、元気の素にしたいと思います。私たちは、きっと穏やかな暮らしを支える力が楽しさにあると感じているからなのでしょう。また暮らし方を変える力は、自分と周りとの関係から生まれると考えているからです。

 さらに、エピソードをその人の歩みとして残したいと思います。周りの環境も人も、プラスにもマイナスにも働きかけあって成り立っているようです。エピソードは、裏を返せば私たちの支援観とも言えます。エピソードと支援観とは表裏一体なのです。日々の暮らしは利用者と「私」との関係の反映です。こんな関りから「なんとなくしあわせ」と感じられる日々を提供したいと願っています。

暮らしぶりを大事にする潮目

 青い鳥は、30年前(1982年)に日野市手をつなぐ親の会が動き出し、そして20年前(2003年)に高等部卒業生の進路開拓する心意気で設立された法人です。

 この間、生活の場づくりから生活のあり方に力点が置かれるようになりました。いたらない実践ではありますが、令和に入り青い鳥利用者の暮らしを家族会ごとにエピソードとしてまとめてきました。実践の節目をまとめることで次のステップに立ち向かう心づもりをつくる機会とします。

 「青い鳥」での暮らしは、単に一日を消化するのではなく、楽しさがもう一回やりたいとの余韻を生み出すと捉えて、利用者の反響を大事にしています。障害によりできること、分かることに制約がありますが、私たちは一回性の一日を充実した場にすることで豊かに生きることを応援する立場にあります。

障害に伴う生きづらさとともに

 概して生活領域では、特別支援学校卒業後70歳代までの50余年の長期の支援期間を託されています。思春期、青年期、壮年期、老年期にわたりじっくり関わることで着実に変容する時間的な経過をたどります。

 この間、障害に伴う生きづらさが、日々の出来事の中に出てくることを承知して受け止めてゆきます。能力や社会性の未熟さ、またストレスから生じるそうせざるを得ない苦しさを推し量りながら深追いや負の上塗りに陥らないように心がけています。障害者であっても、努力も頑張りも我慢も時に必要になるのですから、その方に合った個別の関りで見守り、支える視点を生み出していきます。

 とはいえ、関わりの正解が分かりにくい領域ですから、関係者が具体的に振り返ることで、どうあったら良いか模索する姿勢で臨んでいます。障害を正しく知って、個人差を承知して適切さを確保してゆくことになりますが、実際には暮らしやすさに向けて日々の出来事を確かめながら手探りで進めています。

エピソードを材料に

 日々の実践を日報的な記録で済ますだけではなく、エピソードとして個別のやりとりをまとめる機会を設けています。その場に立ち会っていないご家族もイメージできるようにエッセンスではなく具体的なやりとりを再現し、担当職員の主観を大事にした内容としています。現場の担当者がその場で心揺さぶられたことを「私は~と感じた」主観にこそ現場の知恵が埋まっているのでしょう。この実践の手応えが手探りの素材になっています。

 さらに、家族との連携にとどまらず、職員養成の教材としています。職員間の読み合わせを通じて、視点の持ち方、関わり方、受けとめ方、解釈の幅、利用者ご当人のリアクションの見せ方等々、個々の職員の違いを知り、どう修正していくか考える時間を生み出しています。支援現場は、日々の凸凹に出会って、その場のタイムリーな対処を求められるなどマニュアルではことが済まないだけに、実践力を養う機会になります。

エピソードの意図

 エピソードを媒介に、日常の周りの人たちとのやりとりの中に人の幸せがあることを伝えたいと思っています。誰もが、できることや分かることの能力的な幸せを味わっています。また、それとは違う幸せも感じています。特に知的障害を持つ方たちにとって対人関係から注ぎ込まれる安心と満足による幸せ感が大きいことを実感しています。

 こんななつき合い方があって、こんな暮らし方があって、楽しんでいる、感謝している、余韻が残っている姿をエピソードで語っています。具体的な日々の感情の発露に出会うとき、私たちは、こんな受け止め方も、解釈も、これって結構いいものだと思います。

 エピソードは支援の感性が詰め込まれています。それは相手の気持ちを汲み取る知恵です。気持ちが適切に汲み取られると手ごたえを得て、互いにうれしくなります。さらに支援員としての地力を身に着ける土壌と言えます。

 関わりを通じて、この人たちの歩みがより豊かになることが目的です。エピソードは「目に見える成果」ですから青い鳥のエピソードを通じて課題を共有する方々と語り合えたらと願っています。