バードウォッチング No.112 でこぼこみち⑧

笠原 駒子

当時の私の職場に、半年で復帰するという条件で転勤せずに済むように調整してもらっていたので、生後半年で仕事復帰しました。未熟児で生まれたので、月齢はマイナス1.5か月。小さい小さい息子を預けて仕事に行くのは、とても心配で、寂しく、つらかったです。

☆未熟という生きづらさを支えて

 保育園は空きがなく、どうにかこうにか頼み込んで、個人で保育ママをしている方にみていただけることになりました。大学病院に入院中は、搾乳した母乳を哺乳瓶で飲めていたのですが、息子は、いつの間にか哺乳瓶でミルクを飲むことができなくなっていました。完全母乳で育てていると哺乳瓶では飲めなくなる、乳首から飲むのと哺乳瓶から飲むのとでは飲み方が違う、そんなことは全く考えもしていなくて、仕事復帰するにあたり、本当に困りました。保育ママがスプーンで母乳を与えてくださり、水分多めの離乳食を作って持たせ、どうにか乗り切りましたが、水分不足のためにレンガ尿(水分が足りないときに出るオレンジ色の尿)が出たりして、息子に負担をかけました。保育ママにも、本当にご苦労をおかけしました。ミルクアレルギーがあったので普通の粉ミルクは飲むことができず、アレルギー対応の粉ミルクは味が嫌いなのかどうしても飲んでくれなかったので、職場の更衣室で搾乳するのも大変でした。

☆親の大変さも凌いで

 育休中は、息子が眠るのに合わせて私も細切れで睡眠を取れていたので、それほどつらいと感じることはなかったのですが、仕事に復帰してからは、睡眠不足で頭がおかしくなりそうでした。なかなか眠らず、眠っても2~3時間で起きてしまう息子。夜泣きが激しく、何をしてもなかなか泣き止まない息子。元夫は頼りにならず(彼の精一杯で、手伝ってくれていたとは思います)、両親も遠方なので手伝ってもらえない。ぎゃあぎゃあ泣く息子を抱っこし、

「おかあちゃんのほうが泣いちゃう~」

と実際に声に出して言いながら、この大変な日々はいつ終わるのかなと、しくしく泣いていました。そんな大変さも、歩けるようになった1歳4か月頃からだんだんにおさまっていきました(また別の大変さがでてくるわけですが笑)。そのことを、あの頃の私に伝えてあげられたらいいのになぁと思います。

★乗り越えてきたあれこれを 〈こんなことだった〉 と懐かしく思い出せる時間経過になっているのですね。正に凸凹の歩みであったようです。「可愛い」との思いで接せられるとき、「疲れた」と感じるとき、応援が応援にならない辛さのとき、辛さが主旋律になっていた頃でさえ、流れの中で思い出せば「大丈夫!」と声かけたくなる現実肯定感が息づいていることに安堵します。

 赤ちゃんの泣きに戸惑いつつ一緒に泣いた由。この一節に(よかった)と思いました。母親の大変さんを自ら口に出すことで、その大変さに少し距離を置いて見つめられるのでしょう。また、未熟とはいえ着実な時間が赤ちゃんの生きる力を膨らませてくれるのですね。母乳も離乳食も排泄も、そして睡眠も、生きる一つ一つの行為に赤ちゃんなりに一生懸命だったということなのでしょう。赤ちゃんもお母さんも頑張ってきた姿を彷彿とさせます。深くうなづける頑張りでした。