バード・ウォッチングNo11 分からないけど、分かったよ

H29.7.8

理事 村瀬

 GHのベテラン職員からの報告である。関わりの原則に徹した誇らしい支援、部分に囚われず、行動に振り回されず、気持ちに着目しようとするが上手くつかめない。でも、人間関係が織りなす気持ちの立ち直りが伺えた。

  • Aさんの訳の分からない叩きに戸惑いながら・・・

 朝起きた時から何か落ち着かない。いつものようにそばに行くといきなり叩き始める。それもかなり痛い。戸惑いながらも少し距離を取りつつ、どうしたものかと思いながら相方の職員に変わってもらった。やはり叩かれてしまう。他の利用者に付きながら朝の動きを進めていると、そばに来てまた叩き始める。事が進まず、これは朝の送迎に間に合わないかなと思いながら、(まぁ、送っていけばいいか)と腹を決めた。

  • 受け止めながら、私ことばで思いを伝える、

 叩いたりしながらも何とか食事まで終わったが、感情の揺れが大きい。歯磨きになると抱き付いて泣き始める。「大好きだけど、こんなに叩いたら痛くて一緒にできないよ」と、するとさらに泣く。でも、そんなやり取りからスムースに、いつもの引っ掻かりもなく歯磨きを終えることができた。とはいえ案の定、送迎車に間に合わず、個別に送ることにした。車の手配をしている間に少し落ち着き、「遅いよ」と大きな声、(誰のせいよ)と思いながらも、事業所に付くと腕をからめて来て、触るように叩いてくる。「帰り、待っているからね」と別れた。

  • なんだか分からない、でも怒りたさが伝わってきた

 振り返ってみると、どうしたの?と思いながら、分からないまま、気持ちがつかめないままに、見守ってきた。止めなさい、痛いからダメ、いい加減にして、といった規制や押さえつける対応をしないで距離を取りながら、また距離が取れないままにやり過ごしてきた。叩くという行動に振り回されず、気持ちへの着目を心掛けてきたが、気持ちはつかめないままであった。

幸い、押さえつけなかったことで、私への気持ちがつながっていた。叱ってしまえば、私への気持ちが切れてしまい、甘えることも、訴えることも、依存することもできないまま、押し切られてしまう。立ち直るきっかけがつかめないままであったろう。別れ際の、触るような叩き方が”怒りたかった”とのサインであり、“ごめん”の気持ちまでは含まれていないだろうが、甘えられて、わがままを言えて、切り替わった姿に映った。

  • 原則通り付き合うことの意義

 分からないからこそ、原則通り付き合うことになる。もしかしたら、こうかなと解釈をすることになる。今朝は「理由は分からないが怒りたかったのだ」。解釈であるから、因果関係や論理性に基づく根拠がなくてもよい。現実を肯定できる視点で解釈すれば、今の苦しい、混乱した気持ちに共感することができる。解釈が成り立たないままだと、気持ちへの肉薄が成り立たず、行動に困惑し押さえつけようとする働きかけが表に出てきてしまう。

(なんだったんだ)と思いながら、やり過ごせてホッとしている。こんな関わりがもしかしたら信頼の土壌になっているのかもしれない。不適切に思える表現も出していいのだ、この人たちは「こだわり言語」を使いこなす人だとの見方に、なるほどとうなずかされるエピソードであった。

バード・ウォチング No10 わぁ、すごい!なんだ、これ!①

 

H29.6.11

理事 村瀬

なんでだか分からないけどグッと魅かれる。自由さ、面白さ・・・がある。描きっぷりがいい、迷わない、たちまち「できた」と勢いがいい。こんな、なんとも不思議なエネルギーを与えてくれる絵に囲まれている。))))

  • 思いに応えて・・・

 どんどん描く。魚を描く、サッと描く、さらに隙間に描いていく。画面いっぱいになると気前よく「あげるよ」とくれる。私の不在の折も、「プレゼント」と託してくれる。私の思い「いい絵だ、面白い絵を描く人だ」に応えてくれる。絵を通して、そんな思いのやり取りがある。こんな些細な日常の土壌が少しずつ彼の大人への歩みを応援しているのだろう、とも感じている。思いに応える生き方は素敵だ。

  • 《これでいいのだ!》

 デコトラ?「そうだよ、広島行き」これは?「アンテナ。あっ、思い出した」なに?「運転席のカーテン、おまけだけどね」「ここも塗ろうか?」といった感じで1枚のデコトラ絵が出来上がっていく。彼の絵は、いつも“デコトラを乗せたデコトラ”だ。構図も同じ、塗り方も同じ鉛筆画だが、それぞれの趣が違う、同じ絵にならないのだ。

 《私の絵はいい絵だ》《私は絵を描いていていいのだ》と今の自分に安心している。作業に移り、絵に戻り、また作業に行き、またまた絵に戻る、こんな風に一日が繰り返されていく。『これでいいのだ』天才バカボンのお父さんの名セリフ、まさに自己肯定感の至言だ。ここに通じる生き方だと気付いた。すごいことだ。

  • ウゥーン、これは自信の表れだ

 なんでこの絵に魅かれるのか?数色の横棒の段重ね、その塊が画面に詰まっている。色合いの美しさでもない、逆に単調だ、何の技巧もない。それでも、いつ見ても、なんだか「いいな」と感じさせる。

横棒の長さも、色遣いも、重ね具合も、塊加減も、すべて自分の思いだ。何一つ媚びない。それでいて「いい絵だね」の一言にうれしそうな笑顔で「持ってってもいいよ」応えてくれる。個性も社交性も、このバランスがいい。絵は人柄の表れなんだと納得する。

  • お宝に囲まれて

 事業所内も、店頭も北口店も、各ショップでも、これらの絵を皆さんに見ていただける工夫をしたい。この人たちの生きざまの一端を紹介したい。作品はたくさんある、新作も生まれている、毎月入れ替えてほしい。きっと《今月の絵もいいね》と話題になるはずだ。宝の独り占めは社会正義に反する。見栄えのある額に入れて堂々と表舞台に出すことを考えてほしい。

 

追伸

 この号は①である。次の機会に他の方の素敵な絵を紹介したい。