2024.11.12
顧問 村瀬
はじめに
被団協・ノーベル平和賞を受賞―79年前の広島、長崎のできごと、今も世界の紛争で核の心配がされている。世界に警鐘を鳴らす機会と言える。当事者は高齢化し活動者が乏しくなっているが、高校生が被団協の活動に参加している由、世界の今の問題として引き継ぐ視点が厳然として生きている。
しかし、核の問題だけでなく知的障害の生きづらさの課題もずっと以前からの世界の人権の課題であり、人類の2~3%の大きな数字を占めている。高齢化の問題も含めて社会的弱者の課題であり、人間の在り方の課題であり、身の周りに関係のない人はいないといってよい身近な課題である。基本的な民主主義の課題であり、社会的な環境の整え方と同時に社会の受け止め方が問われている。
*当事者団体の高齢化はあり得ない
一方で、知的障害の領域では当事者団体の高齢化はあり得ず、常に新たな方が生まれている。知的障害という生きづらさを抱える方を支える親の団体として常に次の世代への引継ぎをしていかなければ、といわれる所以だ。
とはいえ、現実の当事者団体は高齢化し、活動力が…、と自らも自覚している有様で…、当事者団体が非力の領域に将来の展望が開けない。それはそのまま私たちの職域がそんな体たらくでいいのか、日本の人口の2%程度でいつも30%の高齢者福祉の後塵に位置づけられる有様であり・・・。制度は一定程度の整えを見せて、親の会がそれで安心しているのかはともかくも、活動力が低下している現実がある。しかし、被団協を見れば、後継の道はいくらでも広がることを示している。
*制度では解決できない課題がある
なぜ、停滞なのか、目標を見失なっているのではないか。親の会、その会が高齢化している事実、新たな会員が生まれず、東京都親の会60周年記念誌で各地の会が軒並み元気がなかった。若い障害児者の家族への先輩としての応援ができていない感。小学校入学時に支援級を選択する、高校進学の折に特別支援学校を選択する。こうした選択の折に先輩家族として手を差し伸べ、同じ悩みを抱える家族として手を添えてゆこうというのが親の会の歩みであったはずだが…。
その必要性が感じられない程の制度の充実があるのかもしれない、しかし制度だけでは解決できない心の悩みがあるはず。昨年の「サポート」では親の悩みを正解のないセンシティブな問題と位置付けていた。だからこそピアカウンセリングが叫ばれているではないか、この領域は教科書で整理しきれない生の生きづらさだからこそ、先輩としての苦労が生きるではないか。でも、悲しいかな、後継がつながらない現実もまた事実とみるなら・・・。
*法人の守備範囲としてできること
ならば、制度外の活動として法人が相談所を立ち上げたらいい。入学の折、一緒に歩みましょうと声を掛けたらいい。高等部卒業まで待つ必要はない。学校教育の手厚い環境の中で、かえって躓いてきた利用者・家族がいるではないか。もっと青い鳥の関係論、受容的な関りの有効性、支援論を訴えていいのではないか。そんなことを感じている今である。