バードウォッチング No.117 でこぼこみち⑬

笠原 駒子

☆人見知りをしない我が子・・・

 未熟児で産まれ、しかも3月生まれの息子は、同じ1歳児クラスの子どもたちと比べると、ほんとうに「赤ちゃん」でした。まわりには元気に走り回り、もう言葉でコミュニケーションがとれる子が複数いる中、息子は歩き出す気配もなく、いくつかの単語がようやく出てきた、というところでした。

 人見知りも無くて、ほかの子たちが預けられるのを嫌がって大泣きする中、息子は、抱っこする手が母から保育士さんに変わったことにも気づかない様子で、のほほんとしていました。大泣きされたらそれはそれで、小さな我が子を預ける辛さをより強く感じたと思いますが、この子は私がお母さんだってあんまりよくわかっていないのかな、と、また、ちょっと寂しい気持ちになったのを覚えています。

☆未熟児―障害の心配・・・

 未熟児で生まれた息子に何か障害が残るのではということは、ほのかな心配ごととして頭の片隅にはいつもありました。でも、産休、育休中に散々障害について調べて、結局、

「育ってみなければわからない」

ということがわかったし、まわりとくらべることをせずこの子の日々の成長をただ喜ぼう、と思えるようになっていました。そもそも3月生まれなんだから、4月生まれの子と差が大きいのは当たり前のことだというのも、心配性の私が息子の発達についてあまり気にしすぎないでいられた一つの要因だったと思います。

☆一年半、ようやく・・・

 1歳4ヶ月で歩き始めると、ようやく睡眠のリズムが少しずつ整ってきて、数時間はまとまって眠ってくれるようになり、授乳をしても、ゆらゆら抱っこをしても、何をしても泣き止まない…という激しい夜泣きがだんだん減っていきました。3~4時間続けて眠ってくれる、夜中に起きることはあっても長くはかからず再度寝てくれる。すごく楽になったように感じて、出産してから約一年半、ようやく少しほっとした気持ちになれたように思いました。

★発達の節目としての「人見知り」―誰しもがその時を迎え、多少のでこぼこがあっても乗り越えてゆくものと思いつつも・・・。人見知りがないことの淋しさも、さらに障害への心配も・・・。

 「育ってみなければわからない」名言です。比べることをせずこの子の成長を喜んでいく、3月生まれの当たり前を受け止めて・・・。よくぞ腹が決まりました。1年余の頑張りが一つの節目になって、と言えそうです。この節目に辿り着いた思いが、次の節目へのエネルギーになっていくのだろうと感じもしました。子育ては続くものですから。

バードウォッチング No.116 でこぼこみち⑫

笠原 駒子

 息子の話に戻ります。

☆“保育園の洗礼”を受けて

 保育ママにみていただいていたときは、息子ともう一人のお子さん2人だけの保育だったからか、ほとんど風邪をひくことはなかったのですが、1歳になって保育園に入ると、「保育園の洗礼(風邪などの感染症に次々にかかること)」が待っていました。

 未熟児で生まれた息子は、幼少期、とても体が弱く、週に一回は発熱し、風邪をひくたび喘息発作を起こし、そのたびに入院するかどうかギリギリの状態に。ヒューヒュー、ゼイゼイと苦しそうな呼吸、深い激しい咳。頻繁にそんな風邪をひく息子を見ていると、かわいそうでかわいそうで、保育園に行かせないですむなら行かせたくない、と思いましたが、もちろん、行かせずに生活することなどできるはずなく。

☆自分の体調管理もままならず

 また、私自身も息子の夜泣きで眠れない毎日で、疲れから免疫力が落ちていたのか、頻繁に風邪をひき、熱を出しました。息子の風邪で仕事を休みまくっていたので、自分の風邪では休むわけにいかなくて、39度の熱が出ても仕事に行っていました。休んでばかりで仕事が滞ってしまうので、朝6時半に家を出て、7時から仕事をしたりもしていました(元夫が、朝の送りは担当してくれていました。元夫に任せることには、彼がパニックを起こすことがきっとあるだろうなと、とても不安がありましたが、やむを得ませんでした)。

 息子の体調、自分の体調。イレギュラー続きでイライラしている元夫。それらに影響されイライラしてしまう自分。そんなことで気持ちも体もいっぱいいっぱいな毎日で、あまり深く考える余裕はなかったのですが、息子の発達も、心配なことでした。

★連載⑪でアスペルガー障害的な生きづらさを持つ父親とその母親の苦悩に触れました。さて、今回から息子さんの話です。

 子どもが授かれば、家族で支え合って赤子の状態を最優先でゆくのでしょう。が、この出発点から上手く整わない。父親が自らの生きづらさに翻弄されて父親業をこなせない現実。しかし、家庭生活を維持するために、母親としては働くことが避けられない。その上で、赤子の弱さがあって…。ここで福祉の制度活用は…、行政との相談は…、社会的な資格を有するとはいえ生活力や父親力が弱い場合、どこまで手立てを活用できるのか…、心もとない限りである。

 とはいえ、失礼なことかもしれないが、相談する手立てがあれば違った展開も、と人ごと的な思いに駆られる。が、都市化した暮らしの弊害なのでしょうか、私はマンション住まい12年になりますが、隣にお住いの方を知りません。人間、社会関係の希薄化そのものであり、これが実際なのだと突き付けられる思いです。

バードウォッチング No.115 でこぼこみち⑪

笠原駒子

☆義母の受けとめ

 元義母には何度か相談をしましたが(商売で忙しく、遠方だったので、子育てを手伝ってほしいという気持ちはありませんでした)、「仕事と勉強と子育てでストレスがたまり、鬱病とかになっているんじゃないかしら。駒子ちゃん、大変だと思うけど、支えてやってね」と言われるばかりでした。

 元義母から聞く彼のエピソードからも、発達障害の傾向を強く持つことがわかるのですが、「発達障害」という概念がたぶん浸透していなかった時代、人一倍勉強がよくできた彼は、変わった子、と思われることはあっても、障害がある子と、両親に気づいてもらえずに育ちました。

 彼が小学生のとき、担任の先生が彼の生きづらさに気づき、「この子は自閉症ではないか。専門の医師に診てもらったほうがいい」と彼の両親にアドバイスしたようですが、「こんなに賢い子を障害者だというなんて! この子には何の異常もありません、ちょっと変わった子かもしれないけれど、それが何だというんですって、私、言ってやったのよ」と、元義母は話していました。

 それはある意味、間違った考えではないと思います。変わったところがある我が子を、「そのままのあなたでいい」との思いで、とても愛情深く育ててきたことが感じられました。

☆社会の障害観の未熟さ

 ただ、障害に対する知識の無さ、強い「偏見」は、あった。そういう時代だったのでしょう。そして、家族も世間も義母のように「そのままのあなたでいい」と言う方針ですらなかった。そんな環境の中で、元夫は、「自分は何か普通と違う気がする。誰も僕の辛さを分かってくれない。生きづらい。とても孤独だ」、そんな風に感じながら、大人になっていったのでしょうか。

 元義母はきっと、もし我が子の「変わったところ」が「障害」のせいなのだときちんとした説明を受けられる機会があったら、「そうか、障害なのね!」と受け入れ、専門家のアドバイスを受けながら、しっかりと子育てをしただろうなと思います。

 元夫が行方不明になる前、元義母は「そんなに人に迷惑をかけるくらいなら、自分で命を絶ってちょうだい!」と。どんなに辛い思いでそれを言い、彼はどんなに辛い思いで聞いたのでしょうか。それぞれに障害受容ができない悲しさが・・・。離婚後、元義母とは連絡が取れなくなってしまいました。いま何を考え、どのような思いで毎日を過ごしているのかなと考えると、表現が難しいのですが、とても苦しい気持ちになります。

★人は周りから育てられる存在であり、社会の見方に影響されるものです。能力主義的な価値観では、高機能で知的な力が発揮される方の場合、障害と見られず「変わった子」の捉え方になりがちです。それは本人の「分かってくれない」生きづらさと重なり、同時に障害を受け付けない母親の苦しさでもあるのでしょう。

 高機能アスペルガー障害の特徴として、社会的な相互作用に困難を抱える、他者の感情を読み取ることが難しい、暗黙のルールを理解するのが苦手と言った点が挙げられます。きっとこうした生きづらさに親子ともに悩んでいらしたのでしょう。

 障害受容のあり様、障害理解の深め方、この情と知の両面から受け止めることの大事さを考えさせられる機会となりました。

バードウォッチング No.114 でこぼこみち⑩

*「でこぼこみち」連載の意図

 ご愛読、ありがとうございます。

 身近に障害との接点を抱きながら、「さぁ、どうしよう」の連続の中でも前を向いて一歩踏み出そうとしているご本人・家族に出会っている職場です。私ごとではないが、他人事でもない、身近な仲間ごとであり、気になることを率直にためせる社会になったらと願う

 

1、障害を持つ方と共に暮らすことで、端的に気づくもの、振り返るとうなづけることの輪郭が掴めてくるのでしょう

日々の出会いが、
 障害を持つ我が子の育てに
 生活支援をする自らの土壌として
 人生を一生懸命に生きる者として
励みになるであろうと思う

2、連載の過程でいろいろな側面に立ち入りながらでこぼこ道と同時に、行き詰まりも隘路も見知らぬ道にも入り込んでいることにも気づかされるのでしょう

誰でも歩む道は、
 思わぬ出会いに左右されています
 その出会いを受けとめる生き方が次の展開を左右するものです
 いつでも「今、ここから」がポイントになる姿勢の生き方です
そのポイントの心づもりを作る機会としての連載でもあるのでしょう

笠原駒子

☆実家との関係

 元夫には、子育てが相当難しいようだ。

 働きながら、夫がいるのに夫に頼ることができず子育てすることが、私はとてもつらい。そう言って、実家の両親に頼ったらよかったのかもしれません。でも、元夫が、私の両親から、ダメな父親、ダメな夫という目で見られたらかわいそうだと思い、頼ることも、愚痴を言うことも、一切できませんでした。我が子の配偶者に厳しい目を向けがちなのが、親というものだと思います。

 私の両親は、結婚してすぐ「〇〇士になる」と言い出して仕事を辞めてしまった元夫のことを、あまりよく思っていませんでした。元夫が資格取得に近づいていくにつれ、私の両親の彼に対する気持ちも、やっと、柔らかくなっているところだったし、これ以上両親に余計な心配をかけずに遣り繰りしていく算段をつけてきたいと思っていました。

★子育ての大変さ 前回の連載⑨では、元夫の子育てもままならず、一人で担う現実を突きつけられた感。さらに経済的な点も含めて辛い状況になって…。そして、今回⑩では、結婚して実家との和やかな関係を念頭にどこまで実家の応援を求めるべきか悩ましいこと、何とか頑張れれば…、と思う気持ちも察せられる。

ともかくも乗り越えて今があるのですから、母親の強さ、踏ん張りだったのでしょう。

バードウォッチング No.113 でこぼこみち⑨

笠原 駒子

☆元夫のでこぼこ

 元夫のことを、出会ったときから、ちょっと変わった人だなぁとは感じていました。変わり者だけど、好きなことにはびっくりするくらい熱中してすごい力を発揮する元夫のことが、私は好きでした。一緒にいることが大変と感じることは多々ありましたが、彼といることは、基本的には私はおもしろかったのです。ですが、子どもが生まれると、そうも言っていられなくなりました。

 小さな息子の突飛な行動、理由のよくわからない不機嫌、泣き、グズリ。やれやれと思い、時にはいい加減にしてくれ~(泣)と言いたくなりつつも、大人ならば、基本的には「かわいい、ほほえましい」と感じられる小さな子供のすることのいちいちが、元夫には、理解不能な、自分のことを不安にさせる、耐えがたいストレスを感じるものだったようです。

☆育児は身の回りの世話だけではないから

 息子が生まれる前、道端で小さな子を見かけると、かわいいねと目を細めて見つめる人でした。子どもが嫌いな人ではありません。しかし、実際に自分が親となり、大人の常識や理屈が簡単には通じない小さな子を自分自身で世話することになると、彼はその難しさに、しょっちゅうパニックを起こしました。息子にも元夫にもつらい時間となってしまうことが多いので、できるだけ2人きりで過ごす時間を少なくできるようにしたいと思っていましたが(私がそう思って努力をしていたこと、元夫には伝わっていなかったかもしれませんが)ゼロにはできず…。

☆被害者に陥ってしまう辛さ

 2人きりで留守番をさせ、私が帰宅すると、息子のわがままに耐えきれなくなった元夫が壁をたたき壁に穴が開いている。少しだけでいいからゆっくり眠りたいと思い2人で散歩に行ってもらうと(まだ抱っこひもを使っていたころです)、知らないおばさんたちが俺のことを見てヒソヒソ悪口を言っていた!と怒り狂って帰ってくる(パパと赤ちゃんのほほえましい光景と思って見ていただけだよ、きっと。と言いましたが、実際には、息子が泣くか何かしてパニックになった元夫におばさんたちがびっくりしていた、とかだったかもしれません)。風邪をひいた息子を、どうしてもしなければならない仕事があって元夫に任せて仕事に行くと、

 「離乳食を食べない! 息子が俺に嫌がらせをしている! いじめだ!」

 と言って電話をかけてくる…。

 そんなことばかりでした。

★自閉系の障害は相手の気持ちを受け止めきれず、行動の是非に振り回されてしまう。他方、幼児期は快不快を自分の感性で率直に表現するものだから、デリケートな不快の意図を見分けることが難しく、不可解な事態に自分が追い詰められてしまうのでしょう。元夫の彼には、手の施しようがなくパニックって衝動的に自爆するしか方法がなくなってしまったようです。

 幼児期は、グズリという未熟な表現であれこれ訴えるものですから、気持がうまくつかみきれず「わかった、わかった!」と抱っこしながら身体揺らして感覚的刺激で紛らわすなど、間々見られることです。育児は理解でこなすものではなく、感じ取るままに手をかける直感的なセンスが求められます。自閉系の障害を持つ彼には難しいことなのでしょう。

バードウォッチング No.112 でこぼこみち⑧

笠原 駒子

当時の私の職場に、半年で復帰するという条件で転勤せずに済むように調整してもらっていたので、生後半年で仕事復帰しました。未熟児で生まれたので、月齢はマイナス1.5か月。小さい小さい息子を預けて仕事に行くのは、とても心配で、寂しく、つらかったです。

☆未熟という生きづらさを支えて

 保育園は空きがなく、どうにかこうにか頼み込んで、個人で保育ママをしている方にみていただけることになりました。大学病院に入院中は、搾乳した母乳を哺乳瓶で飲めていたのですが、息子は、いつの間にか哺乳瓶でミルクを飲むことができなくなっていました。完全母乳で育てていると哺乳瓶では飲めなくなる、乳首から飲むのと哺乳瓶から飲むのとでは飲み方が違う、そんなことは全く考えもしていなくて、仕事復帰するにあたり、本当に困りました。保育ママがスプーンで母乳を与えてくださり、水分多めの離乳食を作って持たせ、どうにか乗り切りましたが、水分不足のためにレンガ尿(水分が足りないときに出るオレンジ色の尿)が出たりして、息子に負担をかけました。保育ママにも、本当にご苦労をおかけしました。ミルクアレルギーがあったので普通の粉ミルクは飲むことができず、アレルギー対応の粉ミルクは味が嫌いなのかどうしても飲んでくれなかったので、職場の更衣室で搾乳するのも大変でした。

☆親の大変さも凌いで

 育休中は、息子が眠るのに合わせて私も細切れで睡眠を取れていたので、それほどつらいと感じることはなかったのですが、仕事に復帰してからは、睡眠不足で頭がおかしくなりそうでした。なかなか眠らず、眠っても2~3時間で起きてしまう息子。夜泣きが激しく、何をしてもなかなか泣き止まない息子。元夫は頼りにならず(彼の精一杯で、手伝ってくれていたとは思います)、両親も遠方なので手伝ってもらえない。ぎゃあぎゃあ泣く息子を抱っこし、

「おかあちゃんのほうが泣いちゃう~」

と実際に声に出して言いながら、この大変な日々はいつ終わるのかなと、しくしく泣いていました。そんな大変さも、歩けるようになった1歳4か月頃からだんだんにおさまっていきました(また別の大変さがでてくるわけですが笑)。そのことを、あの頃の私に伝えてあげられたらいいのになぁと思います。

★乗り越えてきたあれこれを 〈こんなことだった〉 と懐かしく思い出せる時間経過になっているのですね。正に凸凹の歩みであったようです。「可愛い」との思いで接せられるとき、「疲れた」と感じるとき、応援が応援にならない辛さのとき、辛さが主旋律になっていた頃でさえ、流れの中で思い出せば「大丈夫!」と声かけたくなる現実肯定感が息づいていることに安堵します。

 赤ちゃんの泣きに戸惑いつつ一緒に泣いた由。この一節に(よかった)と思いました。母親の大変さんを自ら口に出すことで、その大変さに少し距離を置いて見つめられるのでしょう。また、未熟とはいえ着実な時間が赤ちゃんの生きる力を膨らませてくれるのですね。母乳も離乳食も排泄も、そして睡眠も、生きる一つ一つの行為に赤ちゃんなりに一生懸命だったということなのでしょう。赤ちゃんもお母さんも頑張ってきた姿を彷彿とさせます。深くうなづける頑張りでした。

バードウォッチング No.111 でこぼこみち⑦

笠原 駒子

☆息子と初めての外出

 息子が生まれてからしばらくの間、私は、なかなか外出することができませんでした。生まれたばかりの赤ちゃんが感染症にかかるのが怖かったのです。買い物は、食料品を含め、すべてネットで購入していました。息子を抱っこして当時住んでいたアパートの庭で日向ぼっこするくらいのことはしていましたが、初めて外出したのは、生後2か月半のときです。歩いて5分くらいのスーパーマーケットに行ったのが、息子の生まれて初めての外出でした。

 その日は、元夫の誕生日でした。ケーキ屋さんまで行く勇気がでなかったけれど、せめて、と思って、元夫が大好きだったレディーボーデンのチョコレートアイス(大サイズ)を買いました。元夫は、そのことを覚えているでしょうか。息子の生まれて初めての外出は、父親の誕生日プレゼントを買いにスーパーマーケットにいくことだったと、元夫が覚えているといいなと思います。

☆不安をも肯定する不思議な存在

 私が仕事に復帰するまでの約半年間、とてもしあわせな日々だったなぁ、と思います。あまり眠らずよく泣く子で、笑顔が少なく、なかなか目が合わず、まるで「お母さんじゃない」と言われているような気がして、悲しくなることもありました。生まれてからの約1か月を病院で過ごし、会えるのは1日のうち数時間だったから、私のことを母と認識できていないのかな。そんなことを考えたりもしました。でも、我が子は当然愛おしくてかわいくてたまらず、振り返ると、人生の中であんなに特別な時間は他にはなかったな、と思います。

☆息子への注ぎ込み

夕方、少し涼しくなるころに、息子を抱っこして多摩川沿いをよく散歩しました。不機嫌なことが多い息子でしたが、散歩しているときは穏やかでした。

「あ、電車がくるよ。中央線だね! あずさだね!」

「葉っぱが元気だね~」

「こっちの葉っぱも元気だね~」

そんなことを息子に話しかけながら歩きました。電車のことと葉っぱのことばかり話していたからか、息子の初語は「はっぱ」でした。続いて、ちゅーおーせん、あずさ。かーちゃ(母ちゃん)は4番目でした(笑)

★人との関係は不思議なもの、ご縁のものですから大事にしながら、それでいて縛られず、でありたいもの。互いに良くも悪くも影響しあう間柄は、否定することでもなく、無視することでもなく、見つめ合うものでもなく、その折々の自分を承知することなのでしょうか。

 さて、母子のつながりはなによりも不思議なご縁として生まれてくると言えそうです。生まれ方も、見た目も、節目のつながりも、二人ならではの雰囲気を醸し出しているものなのでしょう。母親の幸せ感はおのずと子の安心感に、子の不安感や不快感は母親の心配に直結するものです。そんな濃密な関係の頃合いのことです。初語は「はっぱ」、おかしな楽しさです。