H29.11.10 理事 村瀬
胸が詰まった。そんな風に感じていたのかと愕然とした。彼の優しさ、素直さ、真面目さ、気配りの細やかさ、こうしたプラス面に目が行き、いい青年だと受け止めていた。それで彼のことが分かったつもりになっていた。
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家族に支えられて
グループホームを利用しているAさんは、若いころメッキ工場で働き、そろそろ老齢年金をいただく頃合いである。職人さんたちに仕事の出来でいじられることもあったが、事務方にフォローされて勤めることができた。母親の気配りがあってのことのようだ。「あなたが大事」を注ぎ込まれていい青年になり、壮年になり、青い鳥と出会い、パン販売の売り子を楽しみに、全体放送の呼びかけにプライドを持ち、フットワークのいい仲間への気配りに感謝されてきた。いい歩みと言える。
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辛さが優しさを生むきっかけになって
仲間の理不尽さに怒って「もう、嫌だ!」と口にすることがあった。とはいえ、ストレートに文句を言うことはない。あれこれ我がままを言って相手を困らせるのは不本意なのであろう。
先日、GHの家族見学会の折り、「ぼく頑張っているから、大丈夫だよ」と健気な一言を母親に伝えている彼がいた。自分の思いを見通しているであろう親を心配させたくないとの思いが、この言葉を生んだ。辛い思いをした現実が、逆に優しい言葉を発する土壌になっている。思い・思いやる関係の人間味のある不思議さだ。「あなたが大事」を注ぎ込んできた親の思いを受けて、返礼するかのごとき親思いの彼がいる。
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素敵な大人と屈辱的な思いが同居して
家主さんの関係で引越しをすることになった由。その折の彼のコトバが気配りに満ちていた。「僕も長い間お世話になったから、一緒にご挨拶に行くよ」と。そして、次に続く言葉に愕然とさせられた。「新しい所でのご挨拶で『家にはこういう子が居ますので…』って挨拶するの?」と、こうした言葉が彼の口から飛び出てくるとは思いもよらなかった。
母親としてこの子を守らなければと庇護の思いで文字通り献身的にしてきた母親である。母は涙をこらえながら話され、私たちは涙を滲ませながら聞き入った。
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世間体に縛られて
「こういう子」は屈辱の子であるのだ。《僕は真面目に頑張ってきた、楽しく頑張ってきた。できないこと、分からないこと、迷惑かけることがまだまだ一杯あるけど、周りに仲間がいて仲良くやっているのに、それでも“こういう子”なの?僕は》との訴えである。
母親は本人を信頼しているからこそ、彼を連れてご挨拶回りをしている。だが、世間体に縛られて、“こういう子”表現になってしまった。その表現に違和感なく聞いていた私たちが今の今までいたのだ。本人の思いに無神経にも気付かず、世間体に縛られて、彼のことを分かったつもりになっていた私たちであった。
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「家にはこういう優しい息子がいます」とご挨拶
彼は立派な大人になった。主体的な生き方をしている。みんなより少し優しい大人だ。それ以外に取り柄があるわけではない。だが素敵な大人になった。ご挨拶で『家の大事な息子です。優しい息子です。頼りになる息子です。』ご一緒にお付き合いください」新しい所での母親の挨拶になるだろう。にこやかに親子3人でご挨拶回りに行く姿が思い浮かぶ。