バード・ウォチング NO36 こんな7月パーティでした

H30.7.24 事理 村瀬

  • 麦茶をいただいて、カルピスもお代わりをして…

 2度目の企画プロ、10名参加、4人ヘルパーで10:00には顔合わせ、まず冷たい麦茶をいただいて、今日作るものを話題にイメージづくりをしながらお仲間を紹介。10:30送迎グループで食材買い出し、ゲーム買い出しへ。車での買い物とはいえ、この暑さ、カルピス類のお代わりもいただいて、11:30ホットプレート料理の始まりです。

 

  • “作る食べる”は こんな進み具合です

 できることは自分で、難しいなぁと感じていることは気持ちよく応援して、作って食べる体験パーティでした。求めすぎず、手をかけすぎず、丁度の加減を推し測って、「ボクにもできる料理」企画です。プレートの手前が自分のエリア、載せて、並べて、ひっくり返して、醤油をつけて…、結構このくらいは皆さんやり慣れている感じで上手なもの、仲間と一緒の雰囲気がいい張り合いになって、いつもよりやる気になっている風に感じました。

 厚揚げやはんぺんにフォークで穴を開け、火が通りやすく、醤油が沁みやすくして、フライ返しのひっくり返しも上手なもの。目玉焼きの卵割りもお椀の縁でコツコツとヒビを入れて黄身を割らずに・・・。心配していたのですが「できたよ!」の声、「もう一つ割ってあげた」とヘルパー分の手伝いも。

おにぎりづくりは6月プロでもやったこと。ラップを使うことで形が整いました。具が出てしまい、ご飯を加えていつの間にか思った以上の大きいおにぎりもご愛嬌でした。醤油もいい香りがしてくるから気持ちが乗って丁寧に、香りの手ごたえは真剣さを生み出します。

 

  • ゲームは予定変更で、おやつの“作って食べる”になりました

 作って食べる体験は面白がっているうちに時間が過ぎて、急きょ変更に・・・。片づけ、休憩の合間に変装「私は誰でしょう?」のさわりを。5面5人、自分で鏡を見てちょっと気に入っているようです。片づけヘルパーにお面顔で出向いたり、なんとなく性に合うお面があるようで、みんなが驚いたり、笑ったり、はしゃいだり、そんな風に見られている自分にも意外と満足げでした。

 さて、かき氷、お皿にチョッと盛りでお代わりして、自分の分は自分でするのが自然で、やってくれるのを待つ姿がない。いい感じです。スイカ割りもいつ自分の番かと待っている様子で、またヘルパーにもやって欲しいとのリクエストが出て、みんなでやることの楽しさを味わっていました。

 

  • さて、8月パーティは夕涼み

 日程が決まったらご案内します。昼過ぎから夕刻までになりますから、参加しづらい方もいると思います。何はともあれ、夏ならではの夕涼みになります。どうぞ、お楽しみに!!

バード・ウォッチング NO35 Aさんのおまじない

H30.6.15 理事村瀬

  • ボクも行きたかったのに・・・

 二人の仲間と車で買い物に行くことになった。すでに駐車場に移動しているところで、担当が息を切らせて「Aさんも連れて行ってもらえないか?」とのこと。姿が見えなくなったら、どうしても行きたくなってしまった由。Aさんは承知していたのだが、その場に臨んで「ボクも」との気持ちが高じてしまったようだ。

 

  • どんなふうに迎え入れるか?

 きっと「行きたかったのに…」と怒れてしまったり、悔しがったり、悲しかったりで気持ちが落ち着かないのであろうと推察した。そこでウエルカム体制で待つことに、車外で手を振って「待っていたよ」のメッセージを送ることにした。

  案の定、怒っているような無表情の顔つきで、後部ドアを開けると助手席がいいと「アアー!」とぶっきらぼうに要求。座るなり体育座りの様に膝を上げブスッとしている。スーパーについて、降りられないかもと思いながらドアを開けるとすんなり降りて、「朝日新聞なし、東京新聞なし、読売新聞ある」と繰り返す。何のことやらと思いながら遅ればせながらオーム返しをしていくと、そういえば前にも聞いたことがあるなと思い出しているうちに、すっきり気持ちが切り替わった。

  • 手に入れたおまじない

 あたかも自分のおまじないで気持ちを立て直していたのだ。きっと、この言葉がおまじない効果を得るまで紆余曲折があったことであろう。ようやく手に入れたおまじない、この言葉を口にすると何とか気持ちが落ち着く、そんな手ごたえを得られているのだろう。社会的に意味のない言葉であろうが、不合理なことであろうが、このおまじないこそが自からを律する手立てになっているのだろう。

 周りから、こだわり、決め付け、暗号、「またかぁ」等々、時に蔑み的に見られようが気持ちを立て直すかけがえのないフレーズになっている。時に独り言的に、時に意味不明語として、時に素敵なおまじないとして口から出て、自分の気持ちを抑制してくれる自律心を支える言葉になっている。こんなおまじないを使いこなす暮らし方は、一つの大人の姿に映ってきた。大人のAさんの姿をまた発見した思いである。

  • やり取りということ

 人との出会いや関わり方は、一方的に自分の思いだけで関わっていることは少ない。相手の人柄、その折々の心情を察して、こちらの気持ちを整え、受け入れたり、励ましたり、淡々と接したり、時には端的に踏み込んだりする。さらにリアクションを受けてまた工夫を重ねる。その折の姿勢は関係の在り方に左右される。仲間として、上の立場として、また励ます関係なのか、対立する関係なのか、等いろいろ変わってくる。

 さて、私たちは支援の場で出会っている。支援の根幹は相手の主体を発揮する土壌づくりと心得ている。

 後日談、「お昼休み、散歩に行こうか?」「ありません」と断られましたが、「朝日新聞・・・」は健在で、決め台詞を言ってニコッとしておりました。

バード・ウォチング NO34 GH企画プロ・こんな休日でした

H30.6.12  理事 村瀬

法人としてガイヘル事業に乗り出す土壌ができた。ヘルパー養成研修が動きだし、さらにGH利用者の土日休日の企画プロを開発して仲間との暮らしの楽しさ豊かさを味わえるようにと願っている。

  • ガイヘルを活用すると・・・

 6月企画プロは、7人の参加者を得て3人のヘルパーで運営した。9:30頃から各自の迎えをはじめ、3:00頃に送りが終了する5~6時間ほどのガイヘル利用であった。

日野市では月30時間の利用が認められているから、今後は月4日位、仲間との暮らしに使い、そのほかに個々の用向きに使う生活になったら暮らしやすさが増すと思う。

  • “自律心に出会う” 

 分担して食材やゲーム関連の買い出し、3人で行く予定がもう一人「行きたい」とのこと。置いて行かれそうでちょっと怒っていましたが、スーパーに着くと「朝日新聞なし、東京新聞なし、読売新聞ある」と繰り返す。何のことやらと思いながらオーム返しをする中で、気持ちがすっきり切り替わって店内に。自分のおまじないで気持ちを立て直していた。こんな自律心に出会ってAさんの大人の姿をまた発見した思いである。

  • 私作る人、私食べる人

 普段は勢い母親任せになることが多いのだろうが、企画プロは「自分らしく参加する」がテーマ。ピクニックのシートもビニール袋に自分の印を描いて、おにぎりも鮭、昆布、梅3個作り、具を詰めて、のりを巻き、ラップで包んで、食べる頃合いには結構落ち着いて食べやすい形になっている。ゆで卵をむいて、バイキングよろしくウインナー、ミニトマト、ブドウなどもタッパーに詰め込んで、包んで手提げに入れて出発。

 おみくじおやつでは、桜の木のおみくじをほどいて、当たりおやつをいただくのだが、3~5個のセットもの、当人が2つ取り、残りは仲間におすそ分け。《いただいて、分けて》そんなやり取りが自然にできる仕組みのおやつでした。

  • 初物でぜいたくに

 1,000円会費で少し予算オーバーになったものの、木陰で初めてのスイカわり、小玉スイカ一つでしたが・・・。1回で割れないようにスポンジの木刀で「えい、やー!」、けっこう当たるが大丈夫、みんなで2回ずつ、そして切り分けて、お代わりをして、みずみずしい初スイカをほおばってきました。

  • もう一工夫、もうひと踏ん張り 軌道に乗せて

 おにぎり作り、ピクニックでたちまちの5時間であった。帰り際「来月もやるの?」と楽しさの余韻が残っていることをコトバにしてくれる方が何人も。運営側の課題はいろいろ。ヘルパー養成に力を入れて。「また来たい」余韻の残るプロ展開の工夫を。それぞれの過ごし方に応える企画プロのコース作りも。

バード・ウォチング No33 障害者の笑顔に主体性を読み取る

H30.6.11 日野青い鳥福祉会 村瀬精二

 

 5月20日朝日新聞、山口さんの「温かい言葉をもらって娘が笑った」の投稿に、障害者の自己表現の奥行きを感じさせられた。肢体不自由で知的障害の高校3年生の娘さんが送迎バスの添乗員の優しい言葉を受けて「ニコッ」と笑った。その笑顔に娘さんの「精いっぱいのお礼」の気持ちを感じた、というものでした。

 食事も一人では食べられない、また話せない障害の重さを抱え、こんな程度しかできないと嘆いているわけではない。いい添乗員に出会い大事にされて感性豊かに育っていると、受動的な姿に満足している話でもない。優しく声かけられて、精いっぱいのお礼をする主体的な生き方に着目しているのだ。

行動に着目したら、声かけられて「ニコッ」とするだけと映るかもしれない。しかし、気持ちに着目したら彼女の主体的な生き方が浮き彫りにされるではないか。「いつもありがとう」「私の気持ちを受け止めて」そんな風に笑顔を解釈したのだ。関わる者がどのようなスタンスに立つか、どのような人間関係を持つかによって、そこにある生き方が変わってくる。小さな振る舞いも新たな意味を持って人間関係を動かす力になるのだ。

行動に価値があるのではなく、「精いっぱいのお礼」と社会的な意味を感じ取ったところに育ちの土壌がある、と感じた。

バード・ウォチング No32 「世の光」に通じる出会い

H30.5.9 日野青い鳥福祉会 村瀬

  • エピソードの語るもの

 新年度の家族会に当たって、それぞれの職員がエピソードを綴ってくれた。短いエピソードであっても、それぞれ心に残った一場面を切り取って伝えてきたものである。職員の感性にうれしくもあり、解釈を広げる中でこの歩みは必ずや素敵な大人の姿を具現化するであろうと感じた。

  また一つの出来事をどのように見るか‐行動に着目すると本人の問題と解釈しがち。心情に気付くと私との関係の在り方と解釈できる‐この基本的なスタンスの大事さも感じたことである。それは本人にとってどう見られているか‐周りから肯定的に見られることで自己肯定感が育まれる。逆に否定的に扱われることが自己否定感の深刻な契機になる。この点が強く感じられたエピソードでもある。

  • エピソード:「パン販売を通じて」(太田)

  木曜日は上田でのパン販売の日-初めて来店される親子のお客さん。Aさんにパンの袋詰めをお願いしたところ、少しの間合いがあって「うん」と頷いて、左手にパン袋を持ち右手に渡したパンをひとつずつ袋に入れて、入ったのを確かめるように丁寧に。そしてポイントカードのスタンプもスタンプの持ち方を直してあげて「ここですよ」と指差して、軽く手を添えて押してくれました。

  こんな素振りを見ていたお客さんの女の子からバイバイと手を振られるとAさんも嬉しそうにバイバイと。きっと女の子は、Aさんが応援されて、できることを一生懸命している姿に「すごいなぁ」と感じたからこそのバイバイなのだろうと率直に感じました。

  • 解釈 エピソードから広がる視点

  子どもたちは大人への憧れを持って生きている。1)身体の大きさや強さ、2)できる能力、そして3)一生懸命に頑張る姿への憧れであろう。一方、私たち支援職には、「この子らを世の光に」との命題がある。

  このエピソードは、障害の重さにめげずに、支えられながら努力する姿が心動かすものを生み出す、と語っている。女の子の「バイバイ」の奥にある思いをどう受け止めるか。エピソードでは表現されていないが「バイバイ」に感じるものがあって綴られたものである。この女の子は幼いなりに、この人は大人なのに私ができそうなこともできない。なぜ?それに教えられても下手だけど、一生懸命にやっている。なんか魅せられてしまう。こんなやり方も“一生懸命”っていうんだ、と感じたことだろう。

  これは受けとめ側の人生の歩みによって培われるものと言える。恵まれた歩みが感性を磨くのではない。逆に苦労した人生が感性を磨くとも言い切れない。周りの誰にも、父にも母にも山谷がありながら、めげずに《あなたが大事》を注ぎ込み育ててくれた、この生い立ちが自分の感性を左右するものだろう。この点で、担当職員は育ててくれた家族や周りの方々に感謝の気持ちを持っているからこそなのだろう。

  • エピソードをつづる土壌が「世の光」だ

  私たちは育てられて今がある。私たちは今支援する側に居る。そして、Aさんを介して、女の子に、できないけど頑張っている姿を見せた。女の子にとって心動かされる経験なのだ。Aさんの生き方は「世の光」になっている。こんな風に感じさせられたエピソードである。

バード・ウォチング No31 スーパーバイザー(SV)として担うもの

H30.4.27 SV 村瀬節子

  • 切り替えに臨む姿勢

 4月は、新しい年度のスタート、節目の月でもあります。障害がなくてもいろいろな配慮の下で、馴染むまでの適応の時間を経過するものです。特に障害がある方のステップアップの道は、慎重に、丁寧に情況を整えながら進めることが必要です。頑張る気持ちになって「よし」と思ってくれてからの支えがポイントとなります。「私にもできる」と受け止められるか、「不安や緊張」に押しつぶされてしまうか、配慮に配慮を重ねることになります。

  • 新たな出会いの緊張に立ち向かって

 今、そのことに直面している出来事があります。4月から新たに2名の方が売店実習に出られています。自分から「売店に行きたい」と希望に胸ふくらませて申し出てくれたAさんの半日の実習に同行させていただいた時のことです。    仕事の流れは、おおよそ決まっており2回目と言うこともあり、次から次へとこなしていました。また、「できました」の報告の声も自然な感じで、さすが、自分から望んだだけあると感心したほどでした。緊張はしているのでしょうが、「頑張っているな」と安堵して見守っていました。

 ところがどうでしょう。仕事が終わった途端「気持ちが悪い」と吐き気を感じたようで、楽しみに購入した昼食用のパンも食べないで、期待していた誕生会もパスし「疲れた」と言ってぐっすり眠り込んでしまいました。

 夜、家に電話を入れると昼食に用意したパンも夕食も食べ、いつもと変わりがない様子ということでした。これは何を意味しているのでしょう。

  • 目標に立ち向かう気力

 体調不良(吐き気)は、プレッシャーや緊張感を抱えながら頑張った事への反動、バランスをとるものだったのでしょう。「仕事が終わった途端」に吐き気があり、「終わった」という実感で張りつめた緊張が緩み、安堵感を越えての吐き気ですから、すごい頑張りだったことが伺えます。そして、ひと眠りして、「平常心」を回復すると食欲が出て、いつもと変わらない様子とのことでした。回復力も大きいのではとも思いました。「自らの目標に立ち向かう気力の充実感に支えられている」姿との解釈の下に、これからAさんに対して具体的にどんな支え、配慮がこの局面を乗り越えられる応援となるのでしょうか。

  • SVとしての支えどころ

 「一人では厳しいけれど一緒に頑張っている仲間がいる、応援してくれる人がいる」と感じられる支えをすること、そして、頑張れた自分、だんだん上手になっていく自分を感じながらの経過を踏まれるように配慮をすることを考えています。

 私たちの支援は、皆さんの日常の実態に関心を持ち、行動という現象に振り回されないで、その意味するものをしっかり捉えながら適切な配慮を積み重ねていくことだと思います。また、職員が悩みながらも《これでよいのだ》と、手応えが得られる受け止めが出来るように応援することがSVとして担う役目とも思っております。

バード・ウォチング NO30 主体性の土壌について感じること

H30.4.2 理事 村瀬

 H30年度に入りました。年度末、恒例の「納めの会」を開きました。昨年度から始めた朝の体操の展開が少しづつ和やかな楽しいものになっていること、改めて感じました。

  • 納会‐体操ご披露から

 Aさんの表彰ご挨拶の中で母親から青い鳥での姿がご披露された。オリジナルな体操を楽しんでやっている、その姿を母親として安堵している旨。その折、傍らの彼が体操をやって見せるなど本人の満足感が伺え、体操プロが少しずつ成熟してきていることを感じた。

 さらに出し物披露では、声かけられながらも次々とメンバー入れ替わりで前に出て自分の持ち体操をやって見せる姿が続いた。一般の体操とはかけ離れている面もあり、なんだ?と思わされたりもしたが司会の解説を頼りに納得の展開になった。

  • 毎朝の体操がベースになって

 朝の体操は、家庭やGHから通所してきた仲間にとって「さあ、今日も一緒に楽しくやろう」とのきっかけづくりになっている。活動の準備運動的な面は副次的になっているが、曲がりなりにも皆さん立って体の部分部分を動かす10~15分ほど、結構な動きの量になってきた。

 いつの間にか、自分の体操の型が決まり、そろそろ自分の番かなと感じ、心の準備ができている。進行の促しに即応じて、「1,2,3・・・」の掛け声にみんなが唱和してくれて、体操の 中心に自分がいる。ワンポイントの自分の番が終わるとみんなの拍手で交代する。拍手が節目なのだ、おまけの体操もいいみたいだ、なかなか終わらなくてもみんなで付き合ってくれる。なんかうれしい。

 他愛もないことであっても、やれることがあって、仲間に期待されて、評価される、そんな日々の土壌は無言のうちに「あなたが大事」が注ぎ込まれる土壌になっている。

  • 経験に裏打ちされた主体性が持つエネルギー

 始めは「こうしてみたら…」と受動的であったが、経験に支えられてやり慣れて、受動的でありながら能動的な振舞いになっていく、受動的能動性と言われる姿になってきた。この能動性は、もう主体性そのもので「私がやる!」との意思の表れだ。そこに縁する「私」は心を動かされ、楽しそう、積極的だ、自分らしく振舞えている等々と感じる。そして私の心のありようは私の内に留まらない。価値あることは人に伝えたくなる、家族に、仲間に。こうして少なからず波紋が伝わっていく。

 受動から能動へと行動が変わて行いく過程を追ってきた、その変容に自分の心情を重ね合わせると行動の奥に潜む気持ちが感じ取れる。心情を解釈しようとする前に感じ取って即時的に反響する自分がいる。それこそ主体性のエネルギーの伝播力なのだろう。

  • 心情に着目すると対人関係の反映と感じ取れる

 この場の職員に支えられて、認められて、安心感を得ながら取り組んできた過程であろう。うれしいことと思えば、もっと応援したくなるのが人情である。それにつけても、より楽しく、より和やかに、より生活の張りになる展開に努力していただきたい。たかが朝体操、されど朝体操であり、一日のスタート起点の体操で一日の充実度合いが決まるのだと心してゆきたい。こうした解釈視点が支援のエッセンスを構成するのだろう。