愛の手帳4度、50代の女性の利用者の支援である。GH生活の中で仲間とのトラブルがあり、担当者、主任との個別の中で改めて生きづらさが語られた。普段、和やかだが家族が既に逝かれて寂しさもあり折々に自己否定感が出てしまう。私たち生活支援の課題として受け止めている。
1、トラブルのきっかけ
GHは、小人数の緩やかな枠組みで個室制の暮らしやすさが確保されているとはいえ、共同生活の軋轢はあり、些細なズレや思い込みでしこりが蓄積することも…。
下膳のお手伝いの矢先、「私がやるから」と仲間の一言に否定されたと受けとめてしまい、悔しさが…。日常のチョッとした食い違いをきっかけに弱さが顔を出してくる。
2、個別対応から心情を把握
折節に言動の背景にある生き辛さを考えてきたが、「これがダメ、あれがダメ」と父から、母から、兄から、そして職員から、さらに仲間から言われてきたと感情を吐露してくれた。話し出すと、こんなこと、あんなこと、そして「私はお姉さんに見られて大事にされてもらえない」と。確かにお姉さん的な立場でプライドも膨らんでしっかりしてこられた安心感もあるが、一方で「大丈夫ね」と自立を求められることも、そうなのだろう。
3,こんな生きづらさも
モヤモヤを手紙に託してくれた。職員の自虐的な「こんなダメな自分」の自己評価を聞いて「こんなことを職員が言っていた。どうしたらいいの?」と。実は自分が言われてきた非難の言葉と類似しており、自分のことと受け止めている様であった。自他分離は当然できているのだが…。
防波堤であった家族が逝き、職員では代わりにならない虚しさ、またキーパーソンという言葉の非力さ。とはいえ、「いま、ここから」と捉えることでしか始まらないし、生活支援の担う領域である。
4、バックグランドのもろさと強さ
①生活支援の質のあり方
かつての生活支援は、訓練的な要素が色濃く滲み、自分で乗り越えることを求められて来た。そこに期待に応えきれない不甲斐なさから自己否定感の土壌でもあった。知的障害は、物事の理解やスキルに不安を抱え、さらに人の立場に立つことが難しい障害でもある。人社会の中で生きていく時、思わぬ齟齬が生まれがちといえる。改めて私たちの今の関わりを振り返える機会にしたい。
②逝かれた両親の思い出の力を
彼女の部屋にはお仏壇がある。朝夕に挨拶している由。この家族への思い出がこれからの力になる、そんな支え方を描いている。