2023.5
日野青い鳥福祉会
「私にとってのエピソード」の第2弾は「新たな自分を見出す」である。〈利用者の発見〉から〈自分の発見〉に視点が動いています。
<点から線に、そして全体像に>
土屋エピソードに引用されていた谷水理事長のコメントを抜き出しておきます。
「日々の関りは小さな点のようなものだけど、それが繋がっていくと一つの線になってその方の全体像が見えてくる。エピソードはその小さな点かもしれないが、時間の経過とともにエピソードの内容も広がりを見せて、利用者の理解を深めていける。エピソードの大切さを、さらにご家族にも伝えていきたい。」この視点を法人職員と利用者家族とで共有してゆきたいと思います。
村瀬 節子 「明日への起点として」
*「私にとっては反省文」であったが
法人研修のテキスト「支援のまなざし」で「今日一日が良い日だったと感じられて終われたら満点」と絶対評価のあり方を確認しました。
ところが、私は「ああすれば」「こうすれば」と自責の念にかられることが多々ありました。ですからエピソードは「反省文」であったり、利用者の生きづらさを確認するものでした。
*関わりの手がかりは「あとみよ そわか」
ところが、魅力的な言葉「あとみよ そわか」に出会いました。「あとみよ=跡を見て確認、そわか=願いが叶う」との意味です。〈一日の記録を書き、仲間と振り返ると気づきにつながり、実践の手がかりになる〉と読み替えました。
さらに生活支援の姿勢として「自分の実践を見直す」ための「記録」の大切さと受け止めました。また、(+)の手ごたえや(-)の気づきが〈願いが叶う〉実践の土壌になります。関わりの呪文のように「あとみよ そわか」を楽しみたいと思います。
*私にとってエピソードとは
改めてエピソードは、利用者と職員の持ち味を発揮する歩みを綴るものです。和やかさに向けての配慮、一緒に取り組み、応援と感謝を取り交わし、ひと段落の安堵を味わい、次は…と心の準備をする。〈楽しく暮らす〉に向けた思いから生まれるものです。
「これでいい」と自信を得たり、「そうか」と気づかせてくれたり、また「反省」も折々混じっています。明日の関わりの起点になっていることは確かです。
土屋 紗織 「仲間同士のつながり」
<普段の様子を切り取る>
振り返りの折、最初は「こんなことがあった」と行動報告になります。続けて「こんな気持ちを抱えていたのか」と心情に着目した解釈がされます。こうした日常の話題がエピソードになります。普段の様子を切り取ったものですから、その方の全体像を映し出す人柄がおのずと浮かび上がってきます。
<関りを考える機会>
利用者の一日を振り返ることは、そのまま自分を振り返ることにつながります。関係の中にそれぞれの暮らしがあるのですから。そう考えると、私にとってエピソードは利用者の暮らし方だけでなく、自分自身の仕事ぶりをも振り返るものだと言えます。エピソードを残すことで、こういう関わりで良かったんだな、もしかしたらもっといい関わりがあったのではないかと考える機会となっています。
<仲間同士の繋がりを支える>
私は近ごろ、仲間同士のつながりの姿をエピソードに残したい、との思いが強くなっています。仲間の存在によって喜怒哀楽の出し方が変わってくる実際に触れています。仲間が支えになったり、怒れてしまったり、折々ですがいつのまにか潤いになっていることを感じています。そんな関係の間合いを生み出す役回りを担っている自分がいます。
人間関係によって暮らし方が変わっていくのですから私の橋渡しの仕方次第で場面展開が変わってくる日々です。きっと此処に生活支援の醍醐味が潜んでいることでしょう。