バードウォチングNo77 私にとってのエピソード

2022.6.23

木上千沙都

主任 土屋紗織

 6月家族会に19集目のエピソード集をまとめました。今回はいつの間にか人と人が付き合うことを視点にしたエピソードが多く、生活介護の力点として興味深く感じました。まずは職員の感想からご紹介いたします。

心揺さぶられること

 3年前、私が入職したばかりの頃、先輩方の書いたエピソードをもらったことを覚えています。家に帰ってエピソードを読んでいると何故か涙が溢れてきました。悲しいエピソードだったわけでもなかったですし、今読むと泣く内容?と思ってしまうエピソードなのですが、先輩方が利用者さんのことを思って書いている気持ちに心揺さぶられるものを感じ取ったのかなぁと今では思っています。

 何気ない毎日は目まぐるしくあっという間に過ぎてしまいます。いつの間にか1週間が終わっていた、なんてこともあります。「日々の出会いを大切に」と気持ちでは思っていても、なかなか毎時間大事にしていけないところがあります。とはいえ、素直な気持ちで出会うことが本人の気持ちに気付ける土壌になると思うのです。ご本人の一生懸命さが私の心を揺さぶってくれますから、“どう応えるか”という私の努力を引き出して下さるように感じます。不思議な関係に引っ張られている様に感じています。

 エピソードを書く際に、どんなことがあった日々だったかな?あの出来事はどんな気持ちだったんだろうと振り返り、考える機会となっています。その時あった出来事は、一緒に居合わせた私と利用者さんの関係で起こったものです。相手がどのように思って、私がどう考えたか受けとっているか皆さんに知ってもらう機会だと思っています。

 毎日利用者の方々をあおいとりで出迎え、お家やケアホームに送っていきます。長年一緒に仕事をしてきた仲間・いつもの職員がいるあおいとりは、利用者の方々にとって、皆さんの居場所であろうと思います。安心して過ごしてもらうこと、何を皆さんが感じているか、ご家族には見せない一面もあると思います。出会いを大切に、丁寧に関わりを持ち、出会った楽しい毎日を皆さんに知ってもらうため、書いていきたいと思います。(木上)

 

皆さんのエピソードを読んで 「感性を素直に受けとめる」

 今回、KYさんの「音を感じる暮らし」というエピソードが印象に残っています。朝のお茶を作る場面で、やかんが沸騰する音、やかんから注がれる麦茶の音、私たちだったら通り過ぎてしまうような日常の音が、河合さんには“いい音だな”“素敵だな”と感じられこんな時間が流れる暮らしをしている、エピソードを読んでいくうちに私の心が温かくなっていくなぁと感じました。こうした対物世界の豊かさに終わらず、それを伝えて共感する人を巻き込んでいく生き方―そこにこそ豊かさを感じたのです。

 日々の出会いで<感性が豊かだなあ>と思う瞬間は、例えば写真や絵を見て「ここに〇〇さんがいるかな~」とイメージを膨らませたり、さらに利用者さん同士、相手の心情を感じ、どんな風に関わったらよいかと間合いを取っている方や、仲間が落ち込んでいる姿をみると、励ましたりと相手の表情や態度、さらに目には映らない心の動きや感情の流れを感じ取っているのだと思います。

 知的障害は各々ですが、感性は障害されていないこと改めて感じます。その感性をどのように職員として捉えるか、どう引き出していくのか。そのためには、お互いの思いが刺激し合って、今ここにいること、その思いを率直に受け止めること、「私の感性」は「私の感じ方」であって、周りからあれこれ言われるものではないはず、だから評価を加えず私たちも素直に受け止めることに努めたいと思いました。そんな関わりが増えることで、さらに穏やかなつき合いにつながっていくのではないかと、改めて考えさせられました。(土屋)

 

バードウォッチング NO76 「生きづらさを吐露されて」

 愛の手帳4度、50代の女性の利用者の支援である。GH生活の中で仲間とのトラブルがあり、担当者、主任との個別の中で改めて生きづらさが語られた。普段、和やかだが家族が既に逝かれて寂しさもあり折々に自己否定感が出てしまう。私たち生活支援の課題として受け止めている。

1、トラブルのきっかけ

 GHは、小人数の緩やかな枠組みで個室制の暮らしやすさが確保されているとはいえ、共同生活の軋轢はあり、些細なズレや思い込みでしこりが蓄積することも…。

 下膳のお手伝いの矢先、「私がやるから」と仲間の一言に否定されたと受けとめてしまい、悔しさが…。日常のチョッとした食い違いをきっかけに弱さが顔を出してくる。

2、個別対応から心情を把握

 折節に言動の背景にある生き辛さを考えてきたが、「これがダメ、あれがダメ」と父から、母から、兄から、そして職員から、さらに仲間から言われてきたと感情を吐露してくれた。話し出すと、こんなこと、あんなこと、そして「私はお姉さんに見られて大事にされてもらえない」と。確かにお姉さん的な立場でプライドも膨らんでしっかりしてこられた安心感もあるが、一方で「大丈夫ね」と自立を求められることも、そうなのだろう。

3,こんな生きづらさも

 モヤモヤを手紙に託してくれた。職員の自虐的な「こんなダメな自分」の自己評価を聞いて「こんなことを職員が言っていた。どうしたらいいの?」と。実は自分が言われてきた非難の言葉と類似しており、自分のことと受け止めている様であった。自他分離は当然できているのだが…。

 防波堤であった家族が逝き、職員では代わりにならない虚しさ、またキーパーソンという言葉の非力さ。とはいえ、「いま、ここから」と捉えることでしか始まらないし、生活支援の担う領域である。

4、バックグランドのもろさと強さ

①生活支援の質のあり方

 かつての生活支援は、訓練的な要素が色濃く滲み、自分で乗り越えることを求められて来た。そこに期待に応えきれない不甲斐なさから自己否定感の土壌でもあった。知的障害は、物事の理解やスキルに不安を抱え、さらに人の立場に立つことが難しい障害でもある。人社会の中で生きていく時、思わぬ齟齬が生まれがちといえる。改めて私たちの今の関わりを振り返える機会にしたい。

②逝かれた両親の思い出の力を

 彼女の部屋にはお仏壇がある。朝夕に挨拶している由。この家族への思い出がこれからの力になる、そんな支え方を描いている。

バードウォチングNo.75 工賃支払いの工夫―頑張りに応える

 都から「能力差を工賃に反映させないように」との指摘をいただき、一律給で対応してきたが、働き方に着目して頑張りや努力をどう大事な生き方として伝えられるかを検討している。再度、都と相談をして、業務に携わる時間や業務内容の違いにより支払い方が変わってくることは当然とのアドバイスを受けた。

 以下に職員向けの説明を紹介する。

1,工賃支払いにあたって次の点を大事にする

①障害の重い・軽いに拘わらず、個々の努力を見出して評価する

・例えば、チラシ配りでいつものコースでないと納得できないが、いつものコースに戻すことでしっかりできる

・室内作業で、周りの動きや間合いを取って報告をするようになる

・新たな仕事で「このくらい」と混ぜ具合を見せて伝えると「こう?」と確認してくる

日課課題を増やす算段をして導入する中で「はじめます」に“ペコッ”お辞儀の挨拶をするようになった

こうした自分の課題と向き合う姿を努力と受け止めて「大事な生き方」として評価する。これらの変化が仕事に立ち向かう土壌につながると解釈している

➁一人ひとりの働きぶりを業務への貢献として評価する

・例えば、資源回収では、段ボール運びなど寒さ暑さを問わず力を合わせて取り組む姿が見られる

・また一人仕事の缶洗いや、力仕事の鉄板拭き等を次々とこなしていく姿がある

この仕事ぶりは業務への貢献であり、個々の頑張り具合に応えることで「頑張る生き方」として評価する

2,業務仕分けにあたって次の点を大事にする

① 障害が重くても「ぼくにもできる」仕事を用意する

・例えば、公園清掃では掃き掃除は中核的な仕事と評価する

ゴミ運びは周辺的な仕事と位置付ける

一緒に作業に出かける等は作業への協力とする

大枠で3段階くらいに業務を仕分けて、障害が重くても仕事をする機会を確保する

➁自分の力を出して「充実感を得られる」仕事を用意する

・例えば、適材適所で業務を上記3仕分けに振り分け、業務ごとに単価を決め、収入の目標が予測できるような仕組みにする

・また業務量への貢献具合に応じて頑張りを評価する

③収益の分配の仕方を工夫して頑張りや努力に応え、本人の育ちに活用する

3,何のために工賃支給の仕組みを変更するのか

・収益の分配を工夫し、小遣いとしていくら使えるかの実感を持てる収入にする

①個々の努力に着目し、仕事力だけではなく、小さな努力を工賃に反映させる

➁仕事は達成感や貢献感が伴うので適切に評価して工賃に反映する

 

 こうした考え方の下に、具体的な業務内容や参加時間等から支払い方式を詰めて、それぞれの努力や頑張りを支えてゆきたい

No.74 コロナ・クラスターに遭遇して

①オミクロン株・感染の波

 大変な事態になった。オミクロン株拡散の波をもろに受け、この間に3部署で4回陽性者が出て、3回は閉所とした。自宅待機・隔離がすぐできない方7名はGH待機としたが、結局クラスター(5名)になり、感染を防ぎきれなかった。

同日、他法人GH職員陽性になり、かつ利用者であおいとり日野(日中)利用の方も陽性が判明した。さらに時期を同じくして、職員2名の家族が陽性で、濃厚接触者として自宅待機となるなど、都内5桁に上る新規感染の社会の縮図の中であった。

②GH階別に隔離スペース、待機スペースに分離

感染リスクを防ぐため最少数GH職員2名・24時間シフト体制で第1クール10日間のフォローを申し出てくれる。この間、新たな感染者が出て第2クールに入り、シフト職員の入れ替えの際もGH職員は担当者として気持ちよく受け入れてくれた。多謝である。

帰れない方の隔離/待機拠点にGHを活用した、現実的にこの場所が確保できたことで安堵している。一方、この間に感染を広げたことは不手際として反省する。

③再開に向けて、しかし・・・

待機明けからあおいとり日野の日中支援、GH女性棟を再開し、遅れて隔離明けでGH男性棟も再開となった。再開に向けて業者による消毒作業を済ませられ、利用者ご家族の安心を取り付けられたことで安堵した。

それも束の間で、一週間ほどで次の飛び火を受けてしまい、再度ご迷惑をおかけする事態になった。

④保健所、医療機関の判断の課題

医療機関と行政の「新型コロナあんしん健康相談室」とで濃厚接触者の判断にずれがあったが、家庭のご協力の下に安全策を取らせていただいた。また、発熱外来でないとコロナ判断はできない由。往診医療も保健所の指示がないと動けない等、感染症法の制約は通院できない重度の方を想定していないようで国民皆保険の限界を痛感した。

⑤判断の混乱のなかで

感染症法に忠実な対処をすると医療崩壊が目に見えているため、厚労省通知で適宜対処してきた結果、判断基準に幅が生まれ、社会では方針の揺れと映っている。法人として安易にせず、動揺せずに社会的に許容される基準を模索してきた。

⑥改めて2点を確認し、周知した

1)利用日の前日、当日朝の健康状態を細かく見ていただき、ちょっとした調や変動もコロナとの関連を想定して大事を取って、ご利用をお控えいただきたい旨。

2)利用者、職員が濃厚接触者にならないように関わり方を慎重にする

・表情を診ることも、触診も、検温も…、利用者のマスク着用を確認し、横並びから観察する姿勢を徹底する旨。 これらを捉え直し閉所を避ける土壌としてまいります。

さて、少しずつ進行する成人病、歯の具合、なかなか抵抗が取れない診察導入-健康管理は生活支援の守備範囲でありながら専門性を持たない。折々に心配するだけで先送りになりがちなことでもある。自分たちの行き届かない点に改めて気づかされた経験として受け止めてゆきたい。

福祉の心を伝えるエピソード

1,基本的な障害の捉え方

・障害は社会環境との関係の中に生きづらさが生まれる、との社会モデルで捉えています

2,青い鳥の歩み

・青い鳥のEさん、Tさん等の第一世代のご家族の方たちは、基本的人権がどのように具体的に施策に反映されるか、の点で社会運動的に頑張って少しずつ手応えをつかんできた時代だったようです

・当然、その頃には見えない課題や不十分な手応えの中で、模索しながら現実的な一歩一歩を確かめながらの歩みだったことでしょう

3,現在の課題として

・現在も同じことです。見えない課題があります。何が整備されることが大事なのか気づいていないこともあります。また、制度が整ってきたとはいえ不十分な点も多々目に付きます

・社会の障害観の問題―肝心なこの仕事を担う人手の問題を見れば、魅力的な職種になっていないから人が集まってこず、補充に悩ましい実際です

・制度面では障害福祉から介護福祉への切り替えの問題も、SSの利用制約も、障害年金の問題等々、挙げられます

4,福祉をすすめる心構え

①制度の不備について

・昔から制度が整っていないからできない、しないと諦めることはしてきませんでした。制度にないことは、必要なら自分たちで、私的レベルで取り組んできた実績が語られています

・その気持ちは福祉の基本姿勢として受け継いでいる第二世代の青い鳥です

助け合う社会のあり方―ボランタリィな姿勢

・個々人のボランテアにより手立てされてきたこともあります。法人のボランタリィな精神で対処してきたこともあって然るべきです

・社会の助け合いの仕組みにあって法人もその中の一つ、また法人枠を超えて私的な力を発揮してゆくべきこともあると考えています

③制約の中で

・個々人のボラの限界があります。法人のボランタリな限界もあります。法人の業務としての限界もあります

・それぞれが継続していくことを前提に、社会的な課題を抱えている人を目の前にしてできることをしてゆく社会でありたいと思います

5,利用者の生き方をどう見るか

障害観を見直すことから―重度の障害者の努力する姿を伝えることで、彼らの生き方を支える仕事の魅力を知っていただきたいと思います。この仕事を通じて自分の人生も豊かになる、と入職する前に希望がふくらむようなご紹介をしたいものです。

・一方、後継者が得られず廃業する鯉料理の店(2.17NHK)、社会的にも立ち行かない業種があることも承知しておかなければと思います。若い人が集まる職種にしなくては。

6,生活支援の魅力を伝える

・障害の重さに関わらず、彼らの生き方に関心を持ってみることで、見え方が大きく変わってきます。彼らの身近な環境である私たちは、素敵な生き方をエピソードで確認したいと思います

バードウォッチングNo.72  「GHの暮らし―朝の動きはこうだよ―」

R3/7/27

グループホーム青い鳥

所長 井上

 

 生活介護を利用している方々のGH―管理者として毎日顔を出しているものの、細かな個々の生活のすすめ方は現場に託しています。ところが、急遽朝番のヘルプに入らなくてはならず、さくらに行った時のことです。

入室早々「あ、井上さんだ!」と笑顔で挨拶してくれたことに救われつつ、あまり流れを把握していないため不安感が漂います。壁に張ってある流れのマニュアルを頼りに進めていきますが、それでも細かいところまではわからず戸惑うのです。

さくらのメンバーは思案している私の姿を見て、「ひげ剃ったよ!」「歯ブラシも終わった」「ご飯の時のお茶は紅茶ね」「僕はコーヒー。砂糖とミルク少し入れて」「薬はここ」「薬は飲んだらこっち」とあれやこれやときちんと伝えてくれました。皆さん一通り朝の動きが終わるとタブレットを見たり、TVを見たり、雑誌を広げたりして思い思いの過ごしで日中活動の送迎を待っていました。

 それぞれ自分に必要なことだけではなく、周りの仲間のことまで気にかけ教えてくれます。それはしばらくぶりに現場に入る私の気持ちを察して下さっていることもあります。個人生活とはいえ、ゆるやかな小グループ生活ですからおのずと制約も、お互いの遠慮や配慮も生まれるのでしょう。それが生きづらさと社会性の土壌とのバランスを常々に考慮しながらの展開が求められることも改めて感じました。皆さんの中にGHでの共同生活数年分の経験が活きていました。皆さんよく見ているし、また、仲間との生活ですから職員の手が空くのを待ちあるいは、「次に行くね」―Aさんのことが終わったら僕のところに来てくれること―をよく理解してくれています。積極的に手伝ってくれる方、マイペースに待ってくれる方がいて、和やかでゆるやかな暮らしぶりなのだなぁと改めて実感しました。

この先、完全に親御さんの元から離れる際はまた一つ壁を乗り越えなくてはならないかもしれませんが、仲間とのこのような生活ならば次のエネルギーになるはずと思ったところです。

バードウォッチングNo.71「壁にぶつかって」

R3/5/12

グループホーム青い鳥

所長 井上

 

4月はいろいろなことが変化する季節。シフトや場所や職員が変わるのは利用者さんにとってはとても大きいこと。利用者さんの中にはいつもと違う状況でなんだか落ち着かなかったり、鬱屈するような心情に支配されたり…。Aさんの場合は、それが事業所へ足が向かず慣れ親しんだ空き家になっている実家に帰ってしまうことになりました。

無断欠勤の連絡を受けて、もしやと思い自宅まで。呼び鈴を鳴らし、しばらくするとドアが開きAさんが出てきました。「なにかあった?迎えに来たよ」と咎めるような口調にならないように、細心の注意を払います。「ホームに戻ります」という彼。「時間にならないと職員はいないし、いまAさんが気になっていることを聞きたいな」と、やんわり帰寮を断りました。戸惑いが顔ににじみ出ましたが、「事故でなくて良かった」と伝えると心なしか緊張が薄れました。

勤務地に到着し、2階で話を聞きます。「4月はいろいろ変わって苦手です」「もう少しお伝えを丁寧にすれば良かったですね」。こんなやり取りをすると、亡くなったお母さんのこと、実家の今後のこと、主治医との会話の内容、作業活動で自分ばかり手伝いを任されること、お勤めに出ていた頃のことなど堰を切ったかのように話をしてくれました。話の内容は大昔のものもあれば、愚痴っぽいものや将来の不安のようなものまで。同性の所長との面談となれば構えてしまうところですが、彼も今回はよく語ってくれました。「何かあったら、相談してくださいね」「日中の施設長ともお話してね」とお伝えして終わりました。

ホームに戻り、業務日誌を見ると異動のあった他のメンバー二人は支援員との会話でここ数日のあれやこれや話し、不安を吐露しているようでした。Aさんは普段の様子からクールにふるまっている風に見えて実は内面に不安をたくさん抱えて、しかも言葉での表現がしづらいという生き辛さを抱えているのだなと感じました。他のメンバーのように話ができ、思いをぶつけ解消してゆくことができない彼への応援は、「何か気になっていることある?」と折々に転ばぬ先のカウンセリングの場を意図して設けること。もう一つは、年齢的に“がんばれ、がんばれ”と言われてきたであろう世代です。陶冶的な教育的な関係は“おなか一杯”で食傷気味のはず。注意されても修正できない自分の壁や上手く気持ちを整理したり、伝えたりしづらい自分の限界的なものにぶつかりながら困惑している本人がいるのだろうと感じています。そうすると、本人の心情を推し量り、状況との仲介をする心づもりで接することが大事になると感じます。