バードウォッチング No.84 生活支援とエピソードの関連

2023.4.3

理事 村瀬

 私たちの「生活支援」はいくつかの要素が絡み合って成り立ち、支援の質をより良いものにする力が働きます。生活支援のあり方を振り返ってみます。以下の循環を実感できているでしょうか。

6項目の循環 1.日々の出会い 2.「あいうえお」の実践 3.日々の記録 4.エピソードまとめ 5.全体像の把握 6.個別支援計画に反映

  1. こうした各要素がリンクしつつ循環していることを自覚してゆきましょう。

    この循環があって生活支援の質が徐々に上がってくると考えています。

  2. エピソードまとめを通じて全体像の把握が身近になり、実践的な支援計画に反映されます。その結果、「目に見える成果」として新たなエピソードが生まれます。

    • さらに循環して螺旋階段を上っていくイメージで個々の歩みを描いています。
  3. そこで留意しておきたい点があります。

    • 「目に見える成果」とは、できる姿、分かる姿、問題が出ない姿という「行動に着目した結果」ではないということです。

    • こうした点の大事さは否定しません。が、それ以上に「目に見えない気持ちを洞察する」ことで気持を肯定的に解釈でき、受け止められ、配慮が生まれ、生きやすさにつながるとの見方に立つものです。

    • 穏やかさ、楽しさ、満足感や意気揚々とした暮らしぶりを評価していく立場です。

*「エピソード」について概略のまとめをしました。次に、日々出会う者として「私にとっての」エピソードを見つめ直す機会としてください。

バードウォチングNO83 生活支援におけるエピソードの位置づけ

2023.3.26
理事 村瀬

 青い鳥では、利用者エピソードのまとめを継続しています。エピソードは生活支援のいわば「目に見える成果」として、「こんな暮らしを提供しています」と関係者にお伝えしているものです。改めて「エピソード」の位置づけを考えてみました。

1,    「あいうえお」の実践

 「あいうえお」の実践とは〈あいさつ、いたわり、うなずき、えがお、おうえん〉であり、関わりの原則として誰もがいつでもされてきたことであり、してきたことでもあるから初心者から実践につなげられる視点です。一方で、奥行きの深いことでもあり適宜適切に展開するために自らの感性を磨き、利用者の心情を読み解く努力が求められる次元も含みます。

 この個別的な実践の過程でエピソードが生まれる、感度よく掬い上げて継続フォローすることで支援の手応えにつながる、と言えます。

2,    エピソードのまとめ

 関わりの中に生まれたエピソードをまとめることは、「こんな暮らしを提供している」ことであり社会的な実践評価を受ける対象です。いわば「目に見える成果」として、実践記録として生活支援の向上に資するものです。

 また本人とっては自分史の一こまであり、ご家族にとっても共に歩んだ証とも言えます。さらに支援員にとっては、個々のエピソードが実践的な支援のテキストになり、支援まとめの側面を持ち、利用者個々の全体像把握の手がかりになっています。

3,    意図的な実践につなげる

 さて、生活支援は個別支援計画に基づく実践であり、意図した目標を掲げていることを承知する。それは全体像の把握のもとに、こうあって欲しいと描く、こう具体的に配慮する、こう継続的な工夫をする、こう支える努力をする等を下地にしているものです。

 「あいうえお」の実践、エピソードまとめ、全体像の把握、個別支援計画の立案、これらがリンクして生活支援が成り立っています。

4,    生身の人と人との出会いの現実から

 実践は思い通り展開することはなく、修正しつつ目的に向かっていくものです。一方、思わぬことから、思わぬ方向から、思わぬ歩みをしていくことも生まれてきます。日々の出会いのやり取りから芽生えを掬い上げていくことも大事な実践になります。

バードウォチングNO82 親なき後GH・あんずの暮らしぶり

2023.2.13
理事 村瀬

 GHあんずで7名の方が暮らしている。日々の暮らしをご紹介することで、先々の暮らしぶりのイメージを描く機会として、また職員としての励みとしたい。

●二つのグループ

 あんずの朝は早い。6時過ぎに朝食の4人、なんとか朝食の場に顔を出したいと6:30にお邪魔している。ゆっくり組の3人は7時過ぎに起きてくる。

 ところが年明け、まだ夜明け前の暗さが残るが6時組に2人が加わり6名で和やかに朝食のテーブルを囲むことが多くなってきた。一方、私の訪問は西平GHの介護的なフォローのため7時前にあんずを後にする状況が続いている。

 こうした状況でⅯさんとの接点は洗顔中の「おはよう」の挨拶程度になり、少し心理的な距離が気になり始めると、たちまち現実的になった。起き出しているがドア越しの声かけ「おはよう。ごめんねぇ、先に出かけるよ」に、かつての「着替えてるから」とお断りメッセージもなく、無視を決め込まれた。

●夜も来るよ

 人恋しくて、人淋しくて、気にかけてくれる人がいると何となくうれしい。そんな心情は「みんなおなじ」はず。そこで洗顔中に「もう出かけるから、夜また来るね」と伝えると「7時までは夕食だから…」すぐに時間の注文を付けてくる。それも素直な笑顔である。〈待っていたんだなぁ〉と思わせる表情である。

 ところで、日中に上田事業所で出会うと「みんなが誰と話すのかなぁって言ってたけど・・・」とこれまた和やかな感じで声をかけてきた。「私とだよね、あと誰?」というニュアンスが感じられた。「コロナの時のように、みんな一緒もいいね」と、みんなを巻き込み仲間との距離を埋めることが再現できるかもと思いつつ「少し早めに行くね」と。〈毎朝顔を出しているのに、私とは…〉とすねる気持ちが和らいだ感触を受けた。

●さて、夜の訪問

 6:30過ぎ、夕食中の訪問になった。天気予報で「明日の東京は警報級の雪」に「早帰りになるかも」「雪だからお休みする」「雪だるまが降ってくる」あれこれ話が膨らんで・・・。

 下膳、片付け手伝いなど役割をしつつ・・・。談話コーナーで、いつものように逝かれたご両親の話を導入に。その輪を覗いてくれる方も巻き込んで「お父さんはタバコ吸ってた?」「お母さんは何歳で亡くなったの?」「お母さんの料理でおいしいものは?」「お父さんはビール飲んだ?お母さんは?」「こんな風に話しているとお父さんもお母さんも喜んでいるよ」「一緒だから淋しくないって・・・」こんなやり取りが続く。

●そうこうしていると思いやりが・・・

 あれこれ話しているとMさんが「夕食は?」と気にかけてくれる、意外と気づく人。今日は何にしようかと話しているところに、家から電話。みんなで次々に電話越しに話しかけて、一番元気なのは思いのほかKさん。電話を介して夕飯の話が広がり、「待っているって」と話しを閉めてくれるYさん。5人の参会者が皆さん立ち上がってご挨拶、なんだかおしゃべりが楽しかったし、みんなで元気になった感じで終えられた。仲間に入れてよかったと感じているMさんは小さく手を振ってくれた。

バードウォチングNO81 作品化を素材に連携する

2023.2.13
理事 村瀬

 法人運営のあり方を模索してきた。NO79号でも取り上げたが、特に親の会との連携が必須と考えている。親子の絆は人の歩みの土壌だから「利用者の豊かな暮らしの実現」に欠かせない相方である。

昨年の日野市・生活介護事業所「はくちょう」の作品展の折、関係者から「一緒にやりましょう」とお誘いを受け、考えてきた。

●利用者の暮らしの柱にあるものは・・・

 1週間単位で活動予定が組まれ、見通しの立つ日々の提供が穏やかな心情の土壌である。作業にとどまらず余暇も自由時間も積極的に組み込んでいる。この中には専門講師の斬新な企画や職員の手土産的な企画もあり、変化があって楽しみだ。

 これらがやり過ごす一日に終わっていないか、やりっ放しになっていないか、本人たちの達成感につながっているか。一方、体制的なゆとりがあるわけではない、応援体制も貧弱な中で何ができるか、どういうことなら継続できるか、現実的な模索をしてきた。

●青い鳥にできる作品展は

 利用者の絵で作ったプチ袋を孫のお年玉袋として利用したら、「これも袋にして」と自分の絵を持ってきた。この関心に触発されて、デザインとして茶菓子の盛り皿・ペーパーナプキンとして生かせるかも・・・。

 早速に親の会で提供すると、いつもの絵をナプキンとして見直す“おもしろさ”に気づかれた節が見えた。さらに2000枚くらいナプキンを展示したら見え方が変わってくる、見られ方が変わってくるだろう。

●作品展のもう一つの意味

 前職の「僕にもできる展」は1年の大きな節目として、たくさんの家族・ボラさんのご協力を得て進めてきた。関係者には「今年もできた」という充実感がエネルギーになりコツコツと地道な実践を支えていたことを思い出す。大変さは大変さで終わらないものである。この充実感は笑顔を引き出す自己満足感と共に、社会的な評価から責任を果たした達成感であり、頑張れる自分になったこと、自分の中の新たな芽に気づかされる機会でもあり…、そうした余韻が社会人として、大人としての自覚に、さらに個人的にも亡き両親への感謝の気持ちにつながっているように感じている。

●作品化が人を育てる刺激となっている

 日々の創作活動を作品化して節目にする。それを利用者の達成感、家族の〈持ち味の再発見〉、職員の“これでいい”との手応えにつなげる。職員の作品化への頑張りが利用者の「僕にもできる」肯定感に、さらに家族の我が子の見直しにつながる。結果的に、親の姿勢が職員を育てることに連動していく。うれしい連携を描いている。

バードウォチング No.80 法人・親の会ミーティングを開きました

2022.12.1

理事 村瀬

 法人の成立母体である手をつなぐ親の会の世代交代期を踏まえてどう連携を進めるか、試行錯誤を踏んできた数年です。

法人・親の会ミーティング

 当初、法人の運営会議に親の会代表が参加する形でしたが、組織運営の諸課題の協議であり馴染みにくいように感じられた。そこで「法人・親の会ミーティング」を設け、双方の代表で身近な問題を話し合う思惑でした。が、双方ともに法人理解への説明に終始する隘路にはまってしまいました。親の会役員の改選やコロナ禍で停滞しましたが、ようやく動き出したところです。

 親の会9名、法人4名でお茶を飲みながらざっくばらんな会合をと描いておりましたが、出来合いの茶菓子にしたため持ち帰りになり演出はもう一つでした。とはいえ1時間半余であれこれ意見交換ができました。法人への要望を聞く会とは位置付けず、互いの思い、気になること、知りたいこと等を率直に言葉にする時間にとの思いで臨みました。

親に何かあったときの対応は、

 制度は整っていると聞かされても、どんな制度なのか不安に思う気持ちはよく分かるところです。実際、今年度に急な事故で親が亡くなり一人になってしまった利用者が2名出ました。

 いずれも第一報が法人に入り、行政、相談事業者と連携を取り、ともかくもその日からの過ごしを法人SSに置き、日常生活を確保したうえで、関係者で善後策を協議しました。お一人は後遺症が残り医療体制が必要との判断が優先し、3か月ほど要しましたが日帰り訪問ができる入所施設に落ち着きました。地域で暮らすことを願う親の会の思いに何とか沿うものになりました。

 もう一人はやはり法人SSでしのぎながら市内のGH利用ができ、日中は今まで通り青い鳥を継続利用できることになりました。

 こうした身近な実例に触れても、それでも心配なものです。何かあった時には普段から出会いのある法人に、また地域生活をコーディネイトする相談支援事業者に頼っていただくことでよいことを確認しました。

基本は身近な人間関係で、制度活用は福祉機関との連携で

 要は、制度のあることは上手に制度を活用する。逆に制度が不確かな事柄は身近な人に積極的に相談することになる。なんでも行政依存や他者頼みではうまくいかないものですが、お互いさまが機能する人付き合いをしてゆきたいものと生き方に触れられました。

 法人と親の会の関係の有り様としてざっくばらんな意見の共有ができるようにとの努力の中に気に掛けるものが生まれ、また関わる職員を育てる心づもりも生まれるのでしょう。法人も組織の力を精一杯に発揮する、また職員の数の力を生かしてしっかり支える気概がおのずと出てくるはずです。

 介護現場の離職率の高さは人間関係が大きな背景要因と言われます。何はともあれお互いの未熟さを承知したうえで大人のマナーをもって出会ってゆきたいとの思いです。

NO79 バードウォチング 法人・親の会との協力テーマ

2022.10
理事 村瀬
 法人の母体である親の会とは、一体運営的で歩んできました。ところが約20年が経ち親の会は世代交代期に入っていますが円滑に進んでいません。そこで法人・親の会ミーティングを立ち上げて協力テーマは何になるのか、模索をしています。「次世代の人を育てる」ことが共通の課題であることは誰もがうなずけることですが・・・。

●協力テーマ:人を育てる視点について

 親なき後の暮らしは、制度的に整ってきたとはいえ、どのような暮らしぶりになるかは気になることです。この点は財政的な問題ではなく、どのような人柄の方と出会うかによる面が大きいと感じています。人から注がれるものにより暮らしぶりが左右されます。人を育てることの大事さが見え隠れします。
 これは、実践職員を抱える法人の中心的な課題でありつつも、親の会側も手をこまねいていいわけではありません。わが子の問題として親の会も力点を置かなければならない事柄になるでしょう。最低限の暮らしで由ではなく、〈人らしく楽しく豊かさのある暮らし〉を描いているはずです。そこに向けてお一人お一人に合わせられる柔軟性に富む感性豊かな人を育てることです。また関わる誰もが自ら育っていくことです。

●理想論も具体論も地道な実践も

 実際的に二次障害を抱えた方も多いため障害観を共有しながら、常識を超えた福祉的な人の幸せ観を描くことに努めたい。また「つまずいて目に入る段差かな」ですから失敗しながら了解していく道筋でよいわけで、互いに率直に話し合っての着実な一歩になることを期待しています。
 見方の違い、考え方の違いも当然のこととして一挙に距離を縮めることをせず、付き合いの中で寄り添えれば、次のステップが変わってくるものです。

●互いに障害のとらえ方を考えてゆく

 支援職は人間として何かを教える立場ではなく、むしろ障害を持つ方と共に暮らす感性や人生の意味を教えていただく側になります。理屈で整理して事足りる事柄でもなく、障害に伴う生きづらさをどう受け止め、どう関わるかを誠実に接しながら感じ取っていくことになるのでしょう。
 法人側からすると個別支援計画・全体像をより掘り下げる努力が求められていると感じています。相手の方がどんな人かを共通認識する、課題の背景を知り、どこに力点を置いて支えるのがよいか、目標を共有する方向で話し合う。
 この話し合う過程が人を育てる過程と重なってくるのでしょう。実践しながら考える、共感されながら別の視点を指摘される、感謝されながら親や年長者の立場で背中を押してもらう、また異論を出されながら勇気づけられ等、オープンクエッションの中で見いだせるものが生まれてくることを期待しています。

エピソードの社会的な価値


所長代理 村瀬

「どうすれば福祉のプロになれるか」(久田則夫)、20年前の本だがご指摘にうなづかされた。

1、「利用者に学ぶ」精神の基盤

差別の中で無力化されてきた米・黒人の公民権運動を端に派生したエンパワメント思想が、実業界の「顧客満足」の考えに広がり「実践(失敗)に学ぶ」視点が職業人の心得として定着した。
さらに福祉の世界でも、障害者は「自分で何もできない人」との保護的援助観に影響を与え、個別ニードや主体性に着目する支援観に反映されている。

2,思いをもって暮らしている生活者

支援は、利用者の主体性、気持に焦点を当てる関わりが前提になる。が、現実の障害は、自分の思いを的確に把握し、意思表示が困難な事態も生む、また表現された思いだけでは、生活の質の向上に結び付かないことも実感する。
そこで潜在的な思い(ニーズ)の掘り起こしが大事になるとの指摘である。日々、障害特性、成育歴、そして行動傾向とその背景要因等を承知して本当のニーズを探る立場で現場を担っている。
一方で、「記録を見ればサービスレベルが分かる」「記録はサービスを映し出す鏡」と位置付けている。記録は「利用者に学ぶ」実践のベースであり「ポイントを押さえた上で簡潔に記す」ことが求められる。「いつ」「どこで」「誰が」「どのような状況で」「どのような行動を」示したか。さらに支援として「どう関わったか」「その結果は」の客観的事実を踏まえ、「どう考えるか」「どう判断するか」を内容とする。さて、実践レベルでどうできているだろうか。

3,生活支援の社会的な評価を得るためには「目に見える成果」が必要

生活支援職は、コロナ禍でエッセンシャルワークと呼ばれたりするが社会的評価が低い。評価できる形で実績を示してこなかった。「忙しくてできない」「時間がない」等の後ろ向きの定番の反応をしてきた。さらに典型的な反論として、「福祉の職場は一般企業と違い業績を目で見える形に示せない部分が多い」と福祉の特殊性を言い訳にしてきた。確かに実績を数値化して示すのは難しいし、その成果主義の弊害もある。
ここで「目に見える成果」の提示の仕方を示された。気持ちの豊かさや情緒安定の歩み等サービスの質的な向上を整理する場合である。観察記録を取ることから始まり⇒データー分析⇒要因の仮説⇒仮設的な対応⇒実践経過・進捗状況⇒文章化して結実する。文章化は見える化であり、見えるから社会的な評価対象となる。さらに、成果はサクセスストーリばかりではない。失敗を検証し指針を示すことの大事さを強調されている。
公共事業も適切性の評価をする時代、福祉も税金で運営されているわけで、「費やしたコストに見合う成果」を求められる時代との認識に頷いた。私たちは日々の支援の出来事をエピソードとしてまとめている。私との関わり方、私の、そして相手の思いの表れである。エピソードで語られる姿は彼らの生き方であり支援の「目に見える成果」である。生きづらさを抱えながらの一歩に感ずるものがある。